無意識日記々

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癒える傷と忘れる記憶

最近のヒカルの歌の歌詞には「喪失・傷・記憶」がテーマとして取り上げられている、という話を前にした。その流れの中にあって、傷つけられることで人の記憶を取り込んだり逆に喪ったりする主人公を描いた漫画が原作のアニメ番組の主題歌のオファーが舞い込むなんて、余りにも出来過ぎている。でもそれが宇多田ヒカルだ。

フシは成長する。そのやり方がエグい。死んでも復活する事を利用して何度も学習をしていくのだ。これは、生物の進化をひとつの個体に押し込めたものだともいえる。生物の進化は自然選択を主軸としていて、それは個体の複製を大量に用意する事で起こせる。兎に角沢山産んで生き残ったやつをまた殖やして…という過程で生存競争に敗れた個体は死ぬ。どんどん死んでゆく。それを気の遠くなるようなほど何万世代、何億世代と繰り返して生物は進化する。進化は死屍累々、数多の屍の上に成り立っている訳だがフシはその死をひとつの個体として受け容れている。これがこの作品の肝であり要であり面白さであり同時に虚構で幻想な所以でもある。

この、個体に進化を押し込める中でひとつ特徴的なのが、フシは死んでも記憶を継承する点だ。生物は自らの複製を作った際に記憶を継承しない。少なくとも現代の知見ではそう考えられている。遺伝子のセットは生まれてから死ぬまで変わらない。ひとつの個体の一生涯の記憶で遺伝子が書き換えられることは無い。

故に記憶はその個体をその個体たらしめる重要な要素になる。そして個体はその記憶をあたることでひとよりうまく生きられたり、或いはそれに拘泥する事でひとより慌てふためいたりもする。

故に「忘れる」こともまた重要だ。何故なら、環境や状況は刻々と変化するから。過去の記憶を余りに重視し過ぎると現在の状況に対処し切れない。思い込みや思い入れが強過ぎて新しい時代についていけない…歳とってくるとそゆこと増えてきますよね(遠い目)。なので、適度に忘れる事もまた生きていく為には必要なのだ。

そんな中で『忘れたくない』とか『忘れられない』とか歌うのは、それは一体何を意味しているのか。『忘れたくない』というのは願望であり、『忘れられない』のは状態の描写だ。似ているようで言っている事はかなり違う。その違いを巧みに突いているのが例えばこの歌詞だ。

『思い出せないのに

 忘れたくない夢を見てる』

アルバム『Distance』収録の『言葉にならない気持ち』の一節である。思い出せないってことは忘れてるんだけど、なのに『忘れたくない』と言っている。いやあんたもう覚えてないんでしょと言いたくなるかもしれないが、それとこれとは別なのである。『忘れたくない』と形容されるある種の感情、願いや祈りについて歌っているのだ。そこをまず踏まえてから、最近の歌についてみていきたい。多分続く。