無意識日記々

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歯車からサイコロへ

『サイコロ振って出た数進め

 終わりの見えない道だって

 王座になんて座ってらんねぇ

 自分で選んだ椅子じゃなきゃダメ』

ここには『サイコロ』『道』『王座』『椅子』といった具象物が並んでいる。それぞれ、どういう意味を持つだろうか?(承前)

『サイコロ』はこれからの運命を決めるものの象徴であるように思われる。自分の手には負えない何かの力によって進む道が決まっていくようなそんなイメージがある。運命を委ねる何かということでは『Face My Fears』の『地図』や『One Last Kiss』の『(あの日動き出した)歯車』なんかを彷彿とさせるな。

OLKの『歯車』は、歌詞中では言及されていないが文脈から「運命の歯車」の意味であることが容易に想像され得る。タロットカードに「運命の車輪(Wheel Of Fortune)」というカードがあって転機とか変化とか好運不運などを暗示するようだが、歯車と言った時にはひとつのことが他の事と噛み合って次々と連鎖していくイメージも託されているのだろう。20世紀的にいえばバタフライ効果のような。

『Time』で『零した水はグラスに返らない』という一節によって「時間(Time)の不可逆性」に言及したヒカルだから『サイコロ』という歌詞によってアルバート・アインシュタインの「神はサイコロを振らない」という有名な一言を想定したのかも、と想像する事はそこまで突飛ではないのかもしれない。無限の知を誇る神であればサイコロですら未知のものではなく決定論的な存在だが、有限の知しか持ち得ないヒトという存在にとっては、神の用意した無限に続く道をサイコロを振りながら進むしかない、という含意がここの歌詞にはあるのではなかろうか。

そういう読み解き方を許せば、次に『王座』という語彙が出てくるのもさもありなん。ヒトでありながらヒトの上に立とうとする存在。言わば神に成り代わろうとするヒトだ。日本でもいつのまにか現人神扱いされるようになっとったっぽいからね。王や君主や皇帝も、権威を強んじれば次第に神性を帯びさせられていく。 

そういった「運命を力尽くで自らの望み通りに改変していく存在」として『王座』があり、その一方で抗えない運命の象徴として『サイコロ』があり、その二つの間に(或いは上位に)ヒトに『終わりの見えない道』を与える神の存在を匂わせる、という三つの要素の互いの対比によってこの段落は構成されているように思える。そこからの結論が『自分で選んだ椅子じゃなきゃダメ』なのだ。

ここの含意を読み解く訳だが、まず、通常の歌詞なら『王座になんて座ってらんねぇ』という一節に続くのは例えば「走り続けるぞ」とか「成長しよう」とかいった内容のものになりがちだという点は踏まえておこう。日本語だと「王座に座る」という表現は「胡座をかく」という慣用表現を連想させるからだ。辞書を引き移せば「のんきにかまえて、何の努力もしないことのたとえ」といった意味になるようだが、この『PINK BLOOD』の歌詞に関してはそちらの意味へと流れているわけではないことに注意したい。「怠けるな働け」というメッセージではなく、あクマで、座るなら王座でなく自分で選んだ椅子なんだという話なのだ。座るなら、ね。

そこを踏まえつつまた次回……ってこのペースだとそのうち発売日になっちゃうね……。