無意識日記々

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I wish to heaven I were with…

附属池田小事件から20年。こういう一区切りとか節目とか言われる数字は余り好まれない。過去のものとして扱われがちになっていくから。勿論、それで遺族の方々の傷が癒える筈もない。

ヒカルが山下玲奈ちゃんに『FINAL DISTANCE』を捧げてからも20年。当時彼女がヒカルの歌を歌って踊っているビデオがテレビ番組で流されていたが、ヒカルはどんな気持ちでそれを観ていた事か。

生きていれば彼女は今年で27歳か。もしそのままヒカルのことが好きなまま大きくなっていたとしたら、彼女もTwitterInstagramのアカウントをとって僕らとやり取りしたりしていたのかな。オフ会なんか来てくれてたりして。ここらへんの年代の、20代後半のファンの方々も結構いらっしゃるもんね。でも、今となってはわからない。

ヒカルはこの22年余り、自分の歌を好きになってくれた人が居なくなっていく場面に何度も何度も遭遇してきているに違いなく。いちばん最初に好きになってくれた人──実母をも含めて。だからという訳でもないのだろうけれど、音楽活動、とりわけ制作と舞台での気合いの入れようは常々恐ろしい程だ。

『PINK BLOOD』で

『自分の価値もわからないような

 コドモのままじゃいられないわ』

と歌うのは、それだけ多く求められながら別れざるを得なかった人々に対する責任みたいなものも含まれているのかな。この歌を現世で聴けなかった人々にも届くようにと。ヒカルのコンサートに行きたいと願いながら亡くなっていった方々、沢山いらっしゃるよね。

『後悔なんて着こなすだけ』

というのも、「一切悔いの無い人生」を声高に叫ぶよりずっと優しいし、よく現実を見ていると思う。悔いが残らない筈がない、至らなかった所なんていつだって山ほどあるんだ、と。しかしそこですかさず

『サイコロ振って一回休め』

と言ってくれる。力んだ心をすっと和らげてくれて。ほんと、優しいわね貴女。

不滅のあなたへ」のフシもまた多くの人々の生と死を見つめて生きていくのだが、ヒカルもそういった長い長い物語を見据えてこの歌を書いたのかもしれないね。

そういや『PINK BLOOD』がリリースされたこともあって、ここ二週間アニメの方の話できてねーなぁ。タクナハ編はオーソドックスに感動的なので、何処かで一度触れておきたいものですわ。