無意識日記々

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To Your Entity

不滅のあなたへ」第2期の主題歌もヒカルが担当するとして(いや『PINK BLOOD』続投希望がまず第一ではあるのですがね)、それはどういうテーマで切り込んでいけばいいのか。

『PINK BLOOD』の歌詞は「自我の確立」がテーマだが、それは「大人の」という枕詞がつくものだったかと思う。こどもの自我の確立はこれから社会に出て人と関わる時にひとりの個人としてお互いに相互作用し合えるために必要なものだったが、「大人の自我の確立」とは、それが出来るようになってからその上でさて私って何だろう?社会や他人からの影響を隔絶してそれでも残るものとは一体何?と考える段階にある。『他人の表情も場の空気も上等な小説ももう充分』読めるオトナになってからの話なのだ。

その段階における「私」というのは、どんな有り様なのか。それは、その「私の在り方」が「世界の在り方」にそのまま影響を与えるということでもある。短絡して言えば「思えばそれが始まる」状態だ。

テレビアニメ20話までのフシは、人間とは何かを学び、自分がそれとどう違ってどう同じなのかを知る過程を描かれた。第2期の第21話(予定)以降のフシは、自分が何をすべきかを見定め、周囲にどう影響を与えていくかが描かれる。その方法論、描写の方向性がぶっ飛んでるから大今良時は奇才なのだが、そこでは、世界の一部と意識を共有するフシが描かれていく。

宇多田ヒカルという存在も、そういう、「宇多田ヒカルがそう思えば、それに倣う動きが世界のどこかで始まる」存在だ。ヒカルがアルバムを出したい、ツアーに出たいと言えばそれに沿って何千という人々が働き、何十万何百万という人々が巻き込まれていく。それは16歳の頃からずっとそうだったのだが、今まではヒカル自身ですらそれに「巻き込まれる」側としての側面が強かった。「何もかももう充分読んだ」宇多田ヒカルは、恐らくもう、そうではない。まさに、インタビューにあるように、物事の“中心”として駆動していくだろう。その時、ヒカルの意識は外側でなく内側に向いている。内側に向いて、内側と対話する事がそのまま外側への影響として顕現していく存在になっているのだ。

かつてロングインタビューで10代のヒカルは「目の前の机と自分自身の区別はない」と言い切っていた。「意識の届く範囲」が、そもそも自分の肉体に縛られていない人なのだ。世界の一部をまるごと切り取って自分自身の意識と同化出来る人……「不滅のあなたへ」の原作を既読している人には、それがフシの(アニメにおける)今後と符合していくのを知っているかと思う。なので、ヒカルは今のヒカルをそのまま描けばそれがそのまま「不滅のあなたへ」の次の主題歌になる。それは、そのつもりがなかったのに『PINK BLOOD』の歌詞が「不滅のあなたへ」にそぐうものになった事のただ延長線上にあることだ。

今後のことはわからない。アニメの最終話で第2期とか、或いは分割2クールとかの告知がある場合もあれば、10年経ってから続編が突然告知される作品もある。ただ、どうせならヒカルがナチュラルに歌を作ればそれがそのまま採用される今、続編を作ってくれた方がベターであるとは、ちょっとは思うところでありますのよ。まずはその前に来週月曜日の第20話を堪能しておきましょうかね。