『PINK BLOOD』はヒカルが言う所の『My relationship with myself』な作風への端緒となる位置付けになりそうな楽曲だけあって、ひたすらに「私」と「自分」が出てくる歌である。日本語詞では主語が曖昧だった部分も、ヒカル本人による英訳詞によってその尽くが I, my, me, myselfであることが判明している。
唯一の例外が『あなたの部屋に歩きながら』の『あなた』で、これは英訳詞でも『As I walk to your room』となっている。
そう、唯一の例外だと思っていたのだここだけが。
しかし、ひとつ見落としていた事に気がついた。
『自分の価値もわからないような
コドモのままじゃいられないわ』
この部分。一見、相変わらず『自分』しか出て来ていないように見える。というか、そうとしか見えない。ところが、ここのところの英訳がこうなっているのだ。
『I can't forever remain a child
Who doesn't understand her own worth』
『自分の価値も』の部分が『her own worth』になっている。“her”=「彼女」!? ここ女性限定なの?? はぁ??
昨今はLGBTQ活動の高まりで、代名詞にも変革の波が押し寄せてきているそうで。heやsheでは性別が限定的だからtheyに置き換えようとか、そんな風な動きもあるんだとか。元々なんで代名詞に性別なんかあるんだと思っていたこっち(日本語民)にとっては朗報なのだが、そんな動きをヒカルが知らない筈もなく。てことは歌詞のこの部分は何らかの理由で女性でなければならないのだ。
うん、なるほど、元々の『PINK BLOOD』の歌詞には、『もう充分読んだわ』とか『やめた方がいいわ』とか、女性語と受け取れる文節が幾つかある。この部分も、『コドモのままじゃいられないわ』という言い回しだから女性が想定されているのかもしれない。それはわかる。しかしだねぇ……? どうも釈然とし切れない。
ならば、ここでやや過剰に踏み込んでこの部分を
「自分の“女性としての”価値もわからないようなコドモのままじゃいられないわ」
という風に解釈してみるとしよう。すると、前々回(先週金曜日夜)に話した、「『PINK BLOOD』の歌詞は妊娠・出産の事をも歌っている」という説を補強する事になりはしないか? つまり、子を産むという事の重要さと大切さ、それに伴って自分の身体を大事にしていかないといけないという自覚、そんな事も含めた一文なんだとすると、
『自分の価値もわからないような
コドモのままじゃいられないわ』
のセンテンスが思春期の女性たちへのやや手厳しいメッセージにも思えてくる。
そうなるとこの歌、「女の子が大人の女性に成長していく物語」という風にも思えてくるわね。やっぱり、『PINK BLOOD』が経血やおしるしを意味・比喩しているという説って結構真剣に検討しなきゃいけないのかもしれない。