無意識日記々

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「知ってた」で済ますんと違たんかい

一頻り結構濃密な問答が一枠目の庵野対談、二枠目のパイセン問答と続いた最後に取り上げられた質問が「目玉焼きに何をかけるか」問題。和んだ。

この押し引きですわな。こうでないといけないというか、センス・オブ・ユーモアの持つ救いの力ってさり気ないから見落としがちだけど、ここでふっと緩ませて貰えるから配信終われるのよね。物語がハッピーエンドを推奨されるのも、バッドエンドだと緊張感が持続しちゃってその世界から戻れないからだし。肩の力抜いてこーぜ。

であたしの場合はそもそも目玉焼きに何をかけるかに関してはどの派閥にも属していない(誰もきいてません)。というのも(続けるんかい)、自分にとって目玉焼きは白いご飯のポジションに近いからだ。白飯にはふりかけをかけるとか漬物を添えるとかから始まってカツ丼や天丼みたいな丼物とか或いはホワイトシチューをかけるかかけないかまでそりゃあ沢山の味付け、トッピングがある。そのバリエーションを楽しめるのが白飯の魅力なのでな。

なので、目玉焼きに関しても、その時々でかけるものが異なる。隣にあるのがご飯に味噌汁納豆だったら醤油をかけるし、パンにサラダにコーヒーならマヨネーズだったりもする。ベーコンエッグかハムエッグかでも、サニーサイドアップかターンオーバーかでも違う。カップでチンするかフライパンで焼くか、いやいや、茹でるか揚げるかでも味は変わるし…ということで、ひとつの調味料にこだわる理由がない。こだわることは損ですらある。ひとえに他のものとの関係性で決まる。

…なんていうことを考えてたのだが、そこでハタと気がついた。ヒカル、さてはインスタライブの最初と最後だけは構成決めてたなこりゃ、と。最初にクマチャンが男の子でゲイ、自分がノンバイナリだとサラッと告げて最後に目玉焼きに何をかけるかの話。つまり、“どっちの問題もそういうふうに考えよう”というメッセージだったのだろうかなと。目玉焼きに何をかけるかについて語る程度の緩さでこういう話をしましょう、ってことだったのかなと。

思い返してみると、ヒカルが『I'm non-binary.』と言った時は軽やかな笑顔だった。多分だが、そんな風に言おうと決めてたんじゃないかなぁ。良い悪いは別にして、インスタライブをやる以上、動画が一部だけ切り取られて拡散されるのは承知の上。ではどんなトーンで告げればいいかとなったら、目玉焼きの話題並みのゆるさとほんわかさとキュートさ(まぁこれは自然に出ちゃった気もしますが)でいこう、と。

食べ物の嗜好は時として神学論争にまで発展する。さっき触れたホワイトシチューを白飯にかけるかかけないかもそうだし、きのこたけのこに至っては戦争とまで形容される始末。でも、それもこれも結局は「どっちでもOK」という大前提あってこその冗句。ノンバイナリ発言の背景には、まだそこの話題が「どっちでもOK」になっていない現実に対する認識があったのかなと。まずは、話題にするところから。話をしていくうちに知識も認識も深まっていくでしょう、と。叩く人がいるのかどうかちゃんと検索してないので知らないけど(まぁ居るんでしょうな)、それも含めて認められていく過程なんだと思えば、目玉焼きにかけるのは醤油かソースか訊かれてるのに塩コショウと答えたのは、貴方の知らない選択肢がこの世にはあるんだよと色んな人に色んな分野で語りかけてる気がしてなぁ…

…って、こういう深読みをし過ぎると次からヒカルがインスタライブがやりづらくなるので(苦笑)、ほどほどにしておきましょーね。醤油やソースもかけすぎると体によくないからね~。