無意識日記々

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歌に吹く風を止めずに

日曜日に入ってきたアフガン政権崩壊のニュースは、日本の報道では毎日二番手以降の扱いのようで。私は国際情勢については疎いのでその判断の是非はわからないが、英語圏や、日本語圏でも日本以外在住の方々との温度差は感じるわね。

政権崩壊と共に(というかその直前に)米軍撤退の報もあったけれど、ヒカルはそのニュースをどんな顔をして見ていたのやら。その昔ヒカルは(2001年のアフガン侵攻に続く)2003年の米軍イラク侵攻に対して真っ向から否を突き付けた事があった。今あれをInstagramにでも書いたら大炎上だろうな。時代は変わった。

しかしヒカルの平和を願う心は変わりようもない。寧ろ『あなた』で

『戦争の始まりを知らせる放送も

 アクティヴィストの足音も届かない

 この部屋にいたい もう少し』

と歌の歌詞に織り込んでしまった事を考えると、昔より更にその思い(と無力感)は大きくなっているように思う。実子の生きる未来がどうか平和でありますようにと願うのだからそれはそれは強い思いになるだろう。

今はSNSのリアルタイム検索のお陰で何かを言えばすぐ嗅ぎつけられる。便利とはそういうものだが、一体いつまでどこまで遠慮していればいいのやら。若いファン、新しいファンはヒカルの熱弁の熱量がどれくらいなのかを知らない人も多かろう。かといって、“そういう人たちにだけ届く”枠組みを使うとかいった方法は、やっぱりなんかしっくりこないというかね。歌を歌う以上、あれにもこれにもまみれた方が“らしい”と思う。

前も書いたように、器楽演奏だけなら無菌で安全な楽園で生きるのもいいのだけれど、言葉のある歌を歌う以上、世の中のあらゆる人との繋がりの中を生きていく訳で、どこかで仕切るとか区切るとか断つとかいうのは、歌に吹く風を止める事になるだろう。敢えて炎上させるのは表現からの逃避だが、精一杯現した上で燃えるのならそれはそれでいいんじゃないかとすら思う。でもま、歌手で作詞家なんだから、言いたいことは、『あなた』のように歌に込めた方がいいのかもわからんね。余り頻度は多くはないが、次のアルバムにはそういった歌詞が表れるのにも少しは期待しておこうかな。