無意識日記々

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Deny Well-Written

そうか、「不滅のあなたへ」は、来週の最終話でフシとピオランのエピソードやるのね。この話が好き……というのとはちと違うけど、テレビアニメでやっといて欲しい話だったのでそこは嬉しい。全20話という話数とストーリーのペースからして、随分と熟考して構成を考えていらっしゃるのかも。

次の第二期の半年(大体それくらいになるだろう)がこの作品が名作たる所以なので、いつ放映になるかが気になるわ。いや、もう思い切って劇場版四部作とかでもいいくらいだけどな。それは思い切り過ぎにしても、しっかりと制作期間をとって質の高いアニメ作品を作り上げて欲しいかなと思いますですよ。ヒカルの主題歌もよろしくね☆

で。前回引用した通り、『PINK BLOOD』の歌詞は「不滅のあなたへ」に合わせて最後の歌詞が付け加えられている。裏を返せば、そこ以外は作品と関係なく作られていたということで、これはもうシンプルに原作者と作詞者が表現活動に於ける問題意識を共有していると捉えていいのかもしれない。意図せずとも勝手に似る。共通するものが沢山見つかる。運命的なコラボレーションだったといえる。

不滅のあなたへ」の特徴として、完全な善人や完全な悪人が出てこない、というのがある。登場人物が戯画化されておらず、ぶっとんだSF作品のくせに妙にリアリティがあるのだ。漫画を読んでないからわからないが、対照的に現代劇だった映画「聲の形」を思い出すに、これは大今良時の個性なのだろうか? リーンなんか普通なら完全無欠美少女のキャラクターでもストーリーは成立するのに妙に気弱だったり狡かったりして。それ別に要らんかったろうに。要は、ストーリーの都合ではキャラを描いていないのだろうな。

その、「物語に配慮しない姿勢」が、今のヒカルにも共通するしているように思われる。

『他人の表情も場の空気も上等な小説も

 もう充分読んだわ』

「場の空気を読む」必要があるのは、「場の求める振る舞いをする」事を強いられるからで、つまり周囲の期待する戯画化された個性としての行動を押し付けられるということだ。あの人は優しいから、とか君は女性なんだからねとか、なんでもいいけれど、規格化された振る舞い、いい言い方をすれば「周囲の期待に沿った」行動をずっとしてきたということでもある。

だから、ここの歌詞で「他人の表情を読む」と「場の空気を読む」に加えて「上等な小説を読む」という新しい表現を加えられた所に『PINK BLOOD』の個性を感じる。つまりそれは、綺麗に整った"物語"のことであり、キャラクターがストーリーの要請に従って振る舞い澱みなく話を推し進めていくような、そんな小説のことを言っているのではないか。そういうのは、恐らくではあるが、大今良時が拒否している(というか或いは最初から頭に無い?)やり方であるように思える。ヒカルもそれを「もう充分」(I've had enough.)と追いやった訳だ。

ここらへんが『PINK BLOOD』と「不滅のあなたへ」がよくシンクロする一員であるようにも思われる。来週最終話でフィーチャーされるピオランというキャラクターも、そういうカリカチュアライズされていない、生き生きとリアルな振る舞いをし続けてきた登場人物だ。彼女とフシの成り行きで一旦幕を閉じるのは、なかなかにいい区切りなんではなかろうか。