無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

そういや世の中転生モノだらけ

『君に夢中』には相変わらず転生ネタが歌詞に織り込んである─再三再四そう繰り返してきた。『ぼくはくま』とか『愛のアンセム』といった過去の名曲達に引き続いてね。でも、こういうのって若い子達はどういう風に捉えるのかな、シリアスな問題としてみくれるだろうか、それともオカルト扱いなのか、はたまたロマンティックだと捉えてくれるのか…。

そんな事を考えてたらふと気がついた。ヲタク界隈って今、「転生モノ」だらけじゃないですか…!

いちばんの出世頭はお馴染みもお馴染み「転生したらスライムだった件」だろうが、いやまぁそれに続く(&それ以前からある)「小説家になろう」発信の作品の多いこと多いこと。まず転生してからでないと話が始まらないくらい。更にそれを前提として追放モノや悪役令嬢モノといったサブジャンルたちにこれまた数多の作品があって、そしてそれらの「小説家になろう」作品がコミカライズされアニメ化されソシャゲがリリースされてメディアミックスが進んでいく…いやもうホント世の中転生モノだらけなのよね今。

とはいえ、それらの殆どは「“異世界”転生」であって現世に転生するタイプの作品は殆ど無い。いや異世界だと思ってたら元と同じ世界でしたというパターンはあるけども。そういう意味では、ヒカルが今まで歌ってきたようなテーマとは結構意味が違う。

でもでも、そうであっても転生ネタに慣れ親しんだ世代が確実に分厚くなっているのは確実な訳で。あたしが当初心配してたような「宇多田ヒカルがオカルト趣味に足を突っ込んだ」みたいな見られ方はされない方向に時代が進んでいってるんじゃないかなと。更に転生モノはメディアミックスによって全世界にファン層を築きつつある。早い話がNetflixクランチロールで見られるアニメなら影響力発揮されるよねという。なのでこのトレンドは日本国内に留まらない可能性も出て来てるのだ。世界中で曲をリリースするヒカルにとっては確実に(?)追い風である。

科学が発達すればするほどオカルト的な「余地」というのは少なくなっていくもので、UFOだのネッシーだの言っていられた世代は先細りになるんだろうなぁと普段から思っていたんだけど、そういうのを見越してなのかヒカルが今回

『来世でもきっと出会う

 科学的にいつか証明される』

と歌ってくれたのは大きいなぁと。科学によって狭められてきたオカルトや未知へのロマンといったものを、そこはもう科学に認めてもらう方向で行きましょう、なんだったらその存在を科学さんに保証して貰いましょうという攻めの姿勢。この地球上には未知へのロマンがもうあんまり残されていないのかと心を老いさせて嘆くより、ロマンを合理と科学に取り込んでいこうというその敢えての前向きな姿勢。踏み込んで言えば、科学的に証明されてしまえば、そこにロマンを見出すのにはもう何の遠慮も要らなくなるのだわ。その、『君に夢中』に漲る絶対的な自信がどんなことになっているかは………やっぱりフルコーラス聴いてみないとわかんないよねぇ。公開は、まだかな?まだかな? 来世まで待たせるなんてことに、ならないようにねっ!