無意識日記々

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謎解きは終わ"らせ"ない

「ペンギンハイウェイ」を観てきた。以後、ネタバレを含む話ばかりになるので何も聞きたくない人はここでブラウザを閉じて頂戴。とは言ってみたものの、この映画、ネタバレを気にするようなタイプの作品ではない、と私は思うので、未見な人もこの続きを読んでもらって構わないんじゃないかな。



あ。でも、この後の話の展開、間違いなくこの夏一番の話題映画「カメラを止めるな!」に触れるわ。同作品の方をまだ観てない&これから観たいと思っている人はこの先を読まない方がいいかもしれない。なんというとばっちりだろうかこれ。




いや、ほんと、でもね。この2作品は並べて観ると実に対照的で。これ、両方とも大好きって人かなり少ないんじゃないだろうか。


「ペンギンハイウェイ」を観賞して楽しむ為に最も押さえておくべきポイントは、「謎は一切解かれない」ということだ。何か不思議な世界が現れて、不思議なまま展開していき、不思議なまま終わる。そんな118分である。「謎解き」を期待する人の期待には一切、応えてくれない。だが謎が解かれないとわかった上で観れば、かなり上質な作品である。


では、なぜこの作品は宣伝文句に「謎解き」めいた言葉を用いたのか。それは、この映画が、探偵モノの類が齎してくれる「謎や不思議が鮮やかに解かれていくカタルシス」を描く作品ではなく、「謎や不思議に初めて出会った時の昂揚感や鳥肌感」という"感情"を情緒的に描く叙情的な作品だからである。つまり、この映画の主題は「謎解き」ではなく「謎」という存在そのものなのだ。ここを誤解してはならないのである。


だから、直前に「カメラを止めるな!」を観ている人は気をつけた方がいいのよ。同映画を観た人は画面の中に何か違和感や首傾感を見出す度についつい「これにはどういった"隠された事情"即ち"答"があるのだろう?」と考える癖がついてしまっている恐れが強い。そのモードに入ってしまうと、もう「ペンギンハイウェイ」を楽しめない。頭を切り替える必要がでてくる。そこを捨てて(或いは我慢?して)、キャラクターの魅力や映像美、劇伴音楽で構成される世界観に焦点をあてるのがよいだろう。




となると、ヒカルの歌との符合具合はどうなのか。勿論今回も見事なシンクロを見せている。


最初に『Good Night』の『謎解きは終わらない』を聴いた時に、『日曜の朝』の『なぞなぞは解けないまま ずっとずっと魅力的だった』の一節を思い出した人も多かったかと思うが、まさに『ペンギン・ハイウェイ』はこの精神で観るのがベターな作品にゃのだ。(噛んだ) 解けない謎の魅力を情緒的に描写してよしとする。そういうものの見方はヒカルにずっとあるもので、『Give Me A Reason』でワケやコタエを望みながらそれを全部打ち捨てたり、『はやとちり』で『理想主義の理論なんてうるさい』と切り捨てたり、理を知りながら無理を言うのはヒカルの専売特許、真骨頂なのである。つまり、元々この「ペンギン・ハイウェイ」という情緒的・叙情的な作品は宇多田ヒカルの作家性と相性がよかったのだ。確かに観る人を選ぶ作品なのは間違いないと思うが(特に理詰めで映画評論をしたがるウェブの住人の皆様は慎重にね)、あうべき人にあえば&あえれば、これほど幸せな作品もそうそうないだろう。おっぱいとうたたねの多幸感に共感する向きには是非鑑賞を促したいのです。