無意識日記々

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アルバム『BADモード』のユニタリティ

情報量が多いねぇ。いつも何か無いか何か無いかと口をあんぐり開けてパクチーパクパク・パクチーパクパクさせてるのが嘘みたいなくらいにあれもこれもある。うたひかマガジンには普段毎度「こんなネタまで拾ってきてくれるなんて!」と感謝しきりなんだけど、こういう期間は逆に何かを捨てないといけない訳で、大変だなぁと思うよ。1日5通までの制限があるからなんだけど。

あたしの方も平日1日2回何か書く、というペースを、この情報の洪水の中でも変えていなくて。なんていうんだろ、こうやって沢山の人がヒカルの新譜と新曲とライブとラジオに関心を寄せてくれていてそれはとっても嬉しい事なのだけど、これもまたそのうち過ぎ去る喧騒なんだろうなぁと思うと、まぁじゃあ自分はいつも通りでいいか、となり。特に力まなくてもいいのかなぁと。なので無意識日記として何か特集を組んだりはしませんよっと。いつも通りで。

アルバムばかり聴いてる。

いやね、既発曲が多いから、聴く前は新しい曲を重点的に選んで聴くだろうなと思っていたのよ。全然違った。兎に角ひたすら全14曲を順番通りにエンドレスリピート中。最初に書いた通り、曲と曲の繋ぎがどこもかしこも素晴らしい。曲間を聴く為に曲を聴いてるまである。

アルバムを聴くまではどの曲をいちばん気に入るだろう?とか思ってたけど、いちばん気に入ったのはアルバムだった。これが私のユニタリティ。

ユニタリティ…極一部の人たちを除いて全く聴き慣れない単語だろうとは思うけど、私なりに曲解して訳せば「1であること」。何かをひとつの単位としてみなし、確かにそれはひとつとしてあって、それ以外ではないという意味。ユニット、ユニタリ、ユニタリティ、だね。(unit/unitary/unitarity)

いや、英語の話なんてどうでもいいのよ。要は…よし、言い切ろう。宇多田ヒカルが初めてアルバムを作ったんだと思う。今までは曲をひとつずつ作っていて、それを集めたものがアルバムと呼ばれていたけど、だったらそれはシングル・コレクションでよくない?とあたしなんかは言っていた。でも、アルバム『BADモード』はまぎれもなく「ひとつの作品」だよ。そこにはユニタリティがある。それが言いたい。

ヒカル自身も掴み切れてない事かもしれない。だって完成させたばかりなんだから。2021年12月28日に完成してなかったのに2022年1月19日には世界中の人が聴けた。出来たてホヤホヤ。まだまだ客観的に捉えるだなんて、作った方も聴いてる方も無理だよ。そんなのこれからの話さ。

なので、今感じてる事をそのまま書く。本当に不思議。このアルバムの流れの中で聴くと、『君に夢中』も『One Last Kiss』も『PINK BLOOD』もどれもこれも切なさ3割増し。『Face My Fears』ってこんなにもドラマティックで感慨深い曲だったっけ? ずっとそんな感想を、それこそ着古したパジャマ並みに去年一昨年一昨々年聴いてきた馴染み深い楽曲達から授かっている。単純に、今まで私がこの子達の魅力を捉え切れていなかっただけなのかもしれないが、『BADモード』というアルバムが、その彼女の抱くユニタリティが、鈍い私に丁寧に優しく教えてくれた。感性のチャンネルが新しく開かれた気がする。本当にとんでもない一作になったと思う。新しい次元ってこういうことなのね。