無意識日記々

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サラッとモード?

なんだか『BADモード』アルバムに脳を作り替えられてる気分。1月発売だったのが今はもう3月になっててもう6週間経とうとしてるのだけど、未だに頻繁に再生してしまう。そして、聴いてると安心するようになってきた。もしかしてこれは、依存症とか中毒とかいうヤツなのではないか…? 今年になったらアレもコレも新譜を出すから楽しもう、と年始めの頃には思っていた私がその為の時間の7割くらいを『BADモード』に持っていかれている。もしやあの“explicit lyrics”表記は歌詞の『fuck it up』のせいじゃなくてこの危険な依存性を暗示していた…?(んな訳無い)

毎度宇多田ヒカルの新曲が出る度に紀元前紀元後の如くもうその曲を知る前の自分には戻れない的な話をするのだけど、今回のアルバムはその程度・落差が過去最大だわ。この作品が無かった頃の感情を忘れ始めているような。…ホントに大丈夫か自分?

で。これだけの作品を作ったヒカルさんがどれくらい自信に満ち溢れて得意満面なのか、というのもライナーボイス+やインスタライブでの見所の1つだった筈なのだが、拍子抜けするくらい全く作品の出来を鼻にかけることもなく。結構、いやかなりサラッとしていたのが印象的だった。

昔はメッセでも動画コメントでも自信のある時はかなりそれを前面に押し出していた。『Letters』なんかそうだよね。実際こちらも聴いてみて「そりゃこんな曲作ったら得意気になるわ」と合点がいったものだ。なのでそれは全く嫌味じゃなかった。寧ろ宇多田ヒカルの新曲を一緒になってハイテンションで絶賛できる共有感覚に嬉しくなるまであった。

今回は例の『今までで一番好きなアルバムかも』ツイートから自信の程は窺えた…と思っていたのだが、その、喋りのトーンが伝わってくるライナーボイスでもインスタライブでも、これだけの作品を作ったことに対する昂揚感みたいなものがあんまり感じられず。それで振り返ってみると↑のツイートも、書いた内容は得意気なのだが、口調は特に荒々しくなく。

単純に39歳という落ち着いた年齢だから落ち着いてるだけで、いつまでも12歳の少女が誕生日を祝うみたいなテンションではいられないよ、ってことなのかもしれないが、ふと気がついてみると、私、息子に対する態度も少し似たような感想を持っていた事に気がついた。『あなた』などでも聴かれるように、歌詞に表れる我が子への愛情は天元突破なヒカルさんだが、一切、と言いたくなるくらいその態度や口調に親バカ振りを見せない。『気分じゃないの(Not In The Mood)』にアイデアを提案して採用されるエピソードを披露したときも「うちの子、天才でしょ!?」みたいな事にはなっていない。だが、アイデアを採用したということは内心素晴らしい仕事をしてくれたと感じ入ってる筈で、それが我が子ならテンションが上がらない筈がない。

うーん、、、となると、単純に最近のヒカルさん、ムッツリ度が上がってるってことか??? なんというシンプルな結論。しかし、それがちょっとリスナーやファンにとっては問題をもたらすかもしれなくて─という話からまた次回。