で前回の続きを書こうと思ってたら前々回引用させて貰った@kukuchangからTwitterにリプライが。
『声を奪われるアリエルのあのシーンのことが浮かんでしまいました🧜♀️』
https://twitter.com/Kukuchang/status/1500993263364280324
!
まさにそれな。
『君に夢中』に出てくるスキャット/ハミング(要は歌詞無しで歌ってるとこ)は映画「リトル・マーメイド」のテーマメロディに酷似していて、ではヒカルさんはどういうつもりでこのメロディを導入してきたのかという点がずっと謎だったのだ。その上その点についてライナーボイスでもインタビューでもインスタライブでも全く触れてきていない。更にクレジットをみても関連する記述が見当たらない(これに関しては字が小さすぎる為私が勝手に見落としてる可能性もあるけど)。一体どういうことなんだってばよというのが偽らざる心境だったのだ。
しかしこのメロディが、「リトル・マーメイド」の劇中でアリエルが魔女アースラに声を奪われる場面で流れるその通りに、ヒカルの声が奪われた事の暗喩だったとすれば色々と話が合い始める。
ヒカルが「心と身体の繋がりを失って声が出なくなった」エピソードを語ったのはLSAS2022が初出で、つまりこの話は少なくとも発売日である2022年2月23日までは公にしたくなかった、するつもりがなかったのだろう。同日のインスタライブで『Beautiful World (Da Capo Version)』の鼻声について初めて言及したこともこの流れの一環なのだと受け取ることが出来そうだ。
勝手な想像だが、アルバムの評価が出揃うまでは黙っていたかったのかもしれない。声の不調を乗り越えてアルバムを制作したなどと予め発言してしまうと、リスナーが同情して歌唱の評価や鑑賞に干渉してしまうおそれがあると考えたのではないか。そうならないように、少なくとも最初だけは、純粋に耳に聞こえたままを楽しんで欲しい、実際のパフォーマンスのクォリティを評価して欲しいのだとヒカルが思った─のだとすれば、また更に泣ける。
しかし、そう考えた上で『君に夢中』の歌詞を吟味し直してみると、
『完璧に見えるあの人も
疲れて帰るよ
才能には副作用
栄光には影がつきまとう』
の一節が声の事を歌っているようでもうなんとも切ない。
『嘘じゃないことなど
一つでも有ればそれで充分』
なんかは『In My room』の
『ウソもホントウも
口を閉じれば同じ』
と繋げて捉えると、
「一つだけでいいから
口を開いて声を出したい」
って意味になるしなぁ。声を出せばウソとホントウが同じじゃなくなる=一つ以上のホントウが現れる、ということだから。
歌を聴く時に歌以外の空間に漂ってるエピソード込みで相対するのは私は基本的に好きじゃないのだけど、これには流石にやられました。声を失うアリエルと、そのアリエルに6歳の頃から夢中な宇多田ヒカルが声を失いかけていたことが、この『君に夢中』って歌の中で重なっていたとすると…重いよね、そりゃ。そりゃ凄絶なアルバムが完成する筈だわ。拝みたくなってきた。ホントウにありがとう。