無意識日記々

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乗ってはないけど合ってるよ

昨日のヒカルのInstagramの投稿は幾つかの媒体で取り上げられているようだ。こういう時、投稿自体が短文だと安堵する。スポーツ新聞程度の字数でも大体全文取り上げて貰えるからね。

昔から切実に『Message from Hikki』の復活を切望してきた私(と何人もの読者の皆さん)としては、やはりヒカルの心のこもったある程度の長さの文章をじっくり読みたい願望は絶えることなく続いているのだけれども、悔しいことに、今の、メディアに短く切り取られて拡散されるシステムの中にあっては、TwitterInstagramに投稿される短文の方が誤解や曲解を招きにくくてより適応的だというのは認めざるを得まい。

スマートフォンの普及に従って、特に2013年頃を境にして情報の拡散が正確さを上げる方向に力を発揮できなくなっていってる訳だが、ヒカルがメッセをやめ、更にTwitterでの連投もやめたのがこの頃であった事を思い出すと、意図的とは思えないにせよ、しっかりと時代や環境に適応していて、それが束の間のかもしれないが僕らの安堵に繋がっている。

今回の投稿も、見たところ非難するような感想はみられない。こんな優しい投稿のどこを一体つつけるのだと訝られるかもしれないが、文句なんて幾らでもつけられるものなのだ。今そうなってないのは、ヒカルに対してそういった“最初から疑いの目を向ける”態度が、周囲に受け容れられづらいからだ。罵詈雑言誹謗中傷をする人というのは基本的に心が弱いため、信念を貫いてどんなときも自分の思想に沿って発言をする、なんてことは苦手なのよ、ああみえても。周囲に受け容れられる空気があるから言ってるという側面がとても大きい。もっとも、その“周囲”が、所変えればまるで異なる性質をもつものなのだ、という認識は、なかなか持てるに到らないようで、昨日も今日もきっと明日も炎上の火種は大量生産させられているだろう。

話が逸れた。昔からヒカルはファンクラブを持たない事が大きな特徴だったが、ここまで発言が制限されていくと、そういうのがあってもいい時代になってきたのかも、と思ったり。会費年額1円とかでやっても面白いな…と想像してたらら似たような事を前に中居くんが呟いてたんだって!? その節は『ぼくはくま』を歌ってヒカルを笑顔にしてくれてどうもありがとう。(もう14年も前ですか) それなら人とネタが被っちゃうのかな~それはイヤだな(笑)。

そんな中でインスタライブはヒカルの“長文”を堪能できる貴重な機会となっている。これもまた切り取られて拡散される運命にあるのだけれど、今はちゃんと全編がオフィシャルにあるから誤解があってもすぐさま訂正できる。文章より汎論の拡散力が強いのなんでなんだろね? その点、YouTubeにも動画置いたの正解だな。再生開始位置指定できるから反論もしやすいわ。

今はブログで長文をしたためるより、動画を上げてメッセージを届ける時代。はからずも、宇多田ヒカルはその流れに合っている。でも、乗っかってる訳ではないので、時代とは、ついたりはなれたりしながらこれからも行くだろうな。─と、時代から取り残されたブログなる媒体で毎日平日発言を続ける私はもの思うのでありましたとさ。