無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

ありのままをあるがままに

最近のヒカル、ものの見方がますますフラット化している。更にニュートラライズされているというか、偏ったものの見方から離れているというか。

2月のインスタライブではこんな感じだった。

『今後悔しちゃうのもすごい自然だし、うん、そんな悪いもんじゃないよ』

『私はそういうことを、悲しみとか別離とかそういうのを乗り越える山みたいに、山が目の前にあってそれを乗り越えて進んでくっていうものじゃなくて、その山が、山自体がもう自分の心の風景の一部なんだって思うようになりました』

https://coconutsjapan.com/entertainment/post-76698/76698/

この感じよな。

後悔は、あるんだよ。悲しみも、あるんだよ。そういった感情が、心が摩耗してしまって感じられなくなってるとかでは、ないんだよ。そういった心の動きがあった時に、そういった感情が

「あるねー」

ってただ単に言えてしまえるようになってるのが、凄い。

そうなのよね、そこなのよね。私らは自分が悔いてたり悲しんでたりした時に、「こんなことを感じていていいのか? 落ち込んでる場合なのか??」と自分の感情に対して社会的価値判断、所謂「値踏み」をしてしまう。こんなことで寝込んでたら社会復帰が出来ないとか、健康を害してしまうとか、周りに迷惑掛けちゃう、とか、そういった、自分の感情から齎される自分の行動とそれに対する周囲の反応やそれの及ぼす周囲への影響にばかり、かまける。確かに、気がついたら、そもそもの悔しさや悲しさからいつの間にか離れていて、そこのところ、根本的な決着は、まるでついていない。

今のヒカルは、そこで慌てない。焦らない。

「私は今、悔いてるね。」

「私は今、悲しんでる。」

というありのままの自分を認める。受け容れる。価値判断を、差し挟まない。値踏みを先にしてしまわない。まず、ちゃんと、自分の感情がそこに「ある」のだと知る。その時のヒカルは、凪のように揺るぎない。ありのままを、あるがままに受け容れて認めるのだ。嗚呼、確かに、そこに、あるのだと。

この目線が、こちらには堪らなく心地好い。それを最も感じさせてくれるのが『気分じゃないの(Not In The Mood)』であることは、度々書いてきた。ヒカルが2021年12月28日にロンドンで見たこと聴いたものをただ記しただけの歌。何よりも、ヒカルらしさを感じた。

その前段階が、『Find Love』と『キレイな人(Find love)』の

『Slow down 焦りも道程(みちのり)』

『Slow down, you won't get there by hurrying』

『焦らないで、急いでも

 辿り着ける場所じゃない』

といった歌詞(と訳詞)に表されているように思う。だとすれば、ヒカルにとって愛とは、ありのままにあるがままを受け容れて認めることなのではないかなという帰結になる。そして、だとすれば、ヒカルは今、己を愛している。果たして実際にそう考えてるかはわからないが、だとしたら私は、嬉しいな。