『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』の“終わらなさ”っていうのは、はからずも「この凄まじいアルバムが終わらなければいいのに」というリスナー側の希望も載るようになってしまっていて。いや実際このあとボーナストラック群が分厚いので全然終わらないんですけど、だからこそ本編ラスト曲に相応しいというか、ラストに置くしかないというか。
前回、かな? オープニング・トラックの『BADモード』が後悔を起点にした歌詞なのに対して、『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』(なおお察しかと思うがこのタイトルは流石の私も辞書登録)は希望を歌うという、始まりと終わりの対比。こうなった遠因は多分こどもが出来たからだとは思う。
ヒカルさんは生まれてきたこと自体を常に「いつか死ぬ」こととみて歌を作ってきた気がする。が、自分でこどもを産んで育てることで「繋がる命」が哲学に入ってきたのかなと。無常観自体は変わらないけど、あれ、これで終わりじゃないのでは?もっと先があるのでは?という感覚が芽生えた、というような。そこらへん、まだ『Deep River+』の頃は自覚が薄かったというか。
もともとの「ひとり」の感覚は、ヒカルに未来より今を大事にする哲学を与えた。
『約束はしないで
未来に保証はない方がいい
賭けてみるしかない』
『先読みのしすきなんて意味のないことはやめて
今日はおいしいものを食べようよ』
『いつか結ばれるより
今夜一時間会いたい』
パッと思い付くだけでもこのような。しかし、変化が訪れたなと感じさせてくれたのは『誓い』だった。
『約束でもない 誓いなの』
これを聴いたとき「ん?」と思った。確かに、従来通り「約束」は否定している。『光』でも似たようなことを歌ってはいた。
『今どき約束なんて不安にさせるだけかな
願いを口にしたいだけさ』
ここでは「願い」。「祈り」なんかも近い表現だが、それはただの自分の中の思いであって、周りを変えていこうという意志の力は弱かった。
しかし「誓い」は、相手があることだ。例えソレが神様であっても。いや、自分自身であっても。未来の私へのメッセージ。何かを変える予兆みたいな雰囲気があった。
そして今年の『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』はこうだ。
『オーシャンビューの部屋一つ
オーシャンビュー 予約』
「予約」しやがった。日常的な言葉なので軽く流してしまいがちだが、これは紛れもない「未来への約束」なのだ。過去のヒカルの歌詞の変化の中でもエポックメイキングと呼べるほどにドラスティックな、大きな変化なのではないだろうか。
あれだけ未来より今が大事と歌っていた人が、たかだかバカンスの予定とはいえ、周りの人を巻き込んで未来の約束を高らかに歌い上げるとは。
このパート、音韻がハマりすぎてて最早ユーモラスにすら響いているが、ヒカルからすれば過去最高に思い切ったフレーズなんだと思う。なのに重々しくならずに軽快さすら感じさせるところが人柄というか。人生でこれでもかと重々しい経験を積み重ねてきた人ならではのセンス・オブ・ユーモアの強い力によって単なる旅の約束に落とし込んでるのが、なんというか、とてもいい。この人の今の魅力が凝縮されている。実際この『よ・やっ・くぅ~♪』は大人気だし、私も南青山でのここを歌う時のトリニティな振付にメロメロになった。ヒカルはこのアルバム『BADモード』から更に大きく変化していくだろう。それも、より魅力的な方向に。ちょっと信じられないが、多分事実だわ。