無意識日記々

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One Last Kiss, Fantastic.

今日は『One Last Kiss』リリース2周年記念日。曲自体の素晴らしさは最早言うまでも無く、それは勿論今後もどんどん声に出して文字にして絶賛していくとして、今回はこの曲が外側に、ヒカルの活動に与えた影響みたいなもんの話を。

この年末年始『First Love』のリバイバル・ヒットの勢いが凄まじいけれど、こんな24年も前の曲を引っ張り出してきても昔の人扱いされないのはひとえにこの『One Last Kiss』が2021年という最近に特大ヒットを記録したからだ(『君に夢中』も大きかったね)。1億って数字を持ち出せるのはデカい。この宇多田ヒカルのバリバリの現役感が、『First Love』のリバイバル・ヒットにネガティブな印象を与えず、故に『First Love - Live 2023』のアレンジとサウンドもああいったアトモスフェリックでリラックスしたものにすることが出来た。落ち目の人が昔の栄光に縋ったとか、そんな論評を全く見ないから、ニューバージョンで力む必要が全くなかったのだ。

つまり、『One Last Kiss』が大ヒットしたことでレコード会社も堂々と『First Love』関連のマテリアルをリリース出来たのだし、更に新しいトラックの編曲面にまでも影響を及ぼしている。プロモでも創作面でも『One Last Kiss』は存在感抜群なのだ。

創作面でいえば、この『One Last Kiss』がアルバム『BADモード』の方向性に大きな影響を与えたかもしれない、という話をあんまりしてこなかったな。この曲が完成された後、アルバム制作過程の後半で『BADモード』や『Find Love』、そして『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』といったダンサブルな楽曲が次々と生み出されていったのは偶々(たまたま)ではあるまい。売上(or再生回数)もそうだが、ヒカル自身、クリエイターとして『One Last Kiss』の出来栄えに自信が持てたのは大きかったのではないか。あの、映画のエンディングでイントロが流れ出した瞬間の「勝ったな」「あぁ」感はもう圧倒的だったよね。One Last Kiss rules ! でしたよさ。つい先日からちょうどルーブル美術館展が始まったとこだし行って「なんてことあったわ!」とかって言ってみたい気分だよね。…よくわかんないね(笑)。

で。故にそのあとも、アルバム全体として、『EXODUS』由来のエレクトロ・ポップ・センスと正統派なダンス・ビートをバンド・サウンドの中で仕上げていくという方向性で推し進める事が出来たのだ。宇多田ヒカルが凄いのは、そうやって出来た『BADモード』や『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』といった楽曲が明らかに『One Last Kiss』から先に進んだ境地にあったという点。アラフォー?デビュー四半世紀?だから何?くらいのテンションでデビュー当時の若い頃と変わらず音楽家としての自分を成長させていく。ほんとアンタの細胞分裂どうなってんの?

『One Last Kiss』はA.G.クックと、『BADモード』や『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』はフローティング・ポインツとのコラボレーションだった。たとえ相手が変わってもイチからまたやり直しとかではなく、コラボテクニックの学びをすぐさま次に活かしたであろうことはサウンドに漲る自信から理屈でなく如実に伝わってくる。アクシデントで入れられた『One Last Kiss』のベース・ラインが生々しくエレクトロ・サウンドとゆうごうしていく様を見て、『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』でのブリリアントなベースラインの大胆な導入がなされていったとみるのは不自然ではあるまい。偶然が確信に変わっていった過程がアルバム『BADモード』には封じ込まれているのだ。

故に逆に、今の視点から『One Last Kiss』を聴くと、一期一会の初々しさや清々しさを強く感じる。『BADモード』の親しみやすくも頼もしい歌詞や、『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』の大胆不敵さ(12分近くもあるんだもの!)とは違う、未来への不安のようなものがサウンド全体を覆っていて、ダンサブルビートが洗練された焦燥感と綯い交ぜになって眼前にリアルに迫ってくるように感じられる。たった2年前の曲なのに、ヒカルのその後の成長進化が凄まじい為、少し青臭くすら感じるほどだ。そしそれが、エヴァンゲリオンの世界観と凄まじい調和をみせている。そう、この時代は確かに終わったのだ。宇多田ヒカルは、そして庵野秀明やその仲間達も、次の段階に進んでいる。その大きな一歩とは、この四半世紀以上にわたる終わらないシリーズを終わらせる事だった。そこからの新たな一歩、新しい始まりもまた次のチャプターへの序章に過ぎない。たかが2年、されど2年だ。宇多田ヒカルの成長と進化は恐ろしい。が、しかし、ついていかなきゃと焦る必要は全くない。なぜなら、ヒカルの進化の行く先は、皆が「同じく感じること」を表現することなのだから。進めば進むほど、私たちリスナーとファンの気持ちにどんどん近づいて同じになっていく。同化していくのだ。全くどうかしてるぜ。(お馴染みのダジャレ)

だから『One Last Kiss』も、ライブ・コンサートで歌われるタイミングは考え抜かれたものになるかなと思われる。あの頃の刹那をどう捉えて「再生」させるか。今後の『One Last Kiss』への興味はそこに集中していくだろう。勿論、わたしたちオーディエンスは狂喜乱舞するわよね。その日が来るのが楽しみで仕方がないですな。