無意識日記々

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夏の残り香

16年前の今日付近にヒカルは広島公演の折に原爆ドームを訪れたそうな。

https://twitter.com/hikkicom/status/1566544129982693380

https://www.utadahikaru.jp/from-hikki/index_61.html

その時の様子はメッセに書かれているが、名文哉、静けさの伝わる文章が感銘を招く。言葉で静寂を表現するのがいちばん難しい。文に拘る人は三点リーダー使わないとかあるかんね。それはさておき、こうやって今メッセを読み返すと、来日アーティストみたいな視点だなと。

勿論日本国内アーティストもツアーで広島に訪れた際原爆ドームを詣でることは多い。だが、国外からの来日アーティストがここに来るときの重みにはまた違った色合いがある。ヒカルがここに来た時に綴られた言葉も、日本語だからこそ伝わる異文化視点感がある。

先月のCDTV出演の折、夏歌としてアルビノーニアダージョGマイナーを挙げていたのには度肝を抜かれた。およそ番組側が想定していなかった曲調ではないか。しかし聞けばなるほど、この曲を切っ掛けに12歳の時に終戦の日の日付を知ったという。確かに、夏の最中に悲しみを知るのもまた、日本という国での風物詩だろう。近年風化傾向にあるが。

そして、そこがまたヒカルが日本の文化の中で育ってはこなかったことを如実に物語っていて。世代によって違うかもしれないが、少なくとも私の世代までは、12歳で終戦の日を知らないというのは少数派とまではいかなくてもそんなには多くないというのが実感で。特に、学校の成績がいいようなヤツは必ず知っていた。ヒカルのような学校の勉強を好んでやっていた人間が知らない、というのは、まず間違いなく12歳までは日本の文化の中で勉学には励んでいなかったということ。ヒカルにとっては外国の歴史、国内史というより世界史の出来事なのだ。いやま、アメリカにとっても“戦勝記念日”だろうというのはあるだろうが、あの国は第二次世界大戦以前も以後も結構ずっと戦争してるからちと事情が違う。本土に攻め込まれてもいないしな。戦争自体が海外での出来事なのだ。ハワイ含め。

なお、ヒカルがアルビノーニアダージョを知ったのは学校で観たメルギブソン主演映画「誓い」(1981年)で、第一次世界大戦ガリポリの戦いを描いた作品なのだそう。そのサウンド・トラック終戦の日に聴いて過ごす感覚、勘の鋭さ、音楽に対する機微こそが、いちばん私が感銘を受けた点だったりする。なお「誓い」の音楽担当はブライアン・メイという人だがこの方はヒカルの愛して止まないクイーンのブライアンとは同名異人つまり別人の音楽家で、他に「マッドマックス」のサントラなどを手掛けているとか。豆知識でした。

しかし、こんな夏歌を紹介された後に『来世でもきっと出会う』だとか『ここが地獄でも天国』とか歌われたら今度はまるで『君に夢中』が鎮魂歌、レクイエムのように響いてくるのだからこの歌の力強さときたら、ね。ステージ・セットのロウソクも弔いの灯火に見えたよ。9月に入ってなんだか秋の気配が濃くなってきけれど、日本の夏はまだまだ尾を引いていく。