無意識日記々

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『別れの言葉じゃなく』

そういえば当初わたくし『また逢う日まで』というサブタイトルを目にした際に昭和の人間として「それは尾崎紀世彦の代表曲、大ヒット曲のタイトル&歌詞だからすんなり受け容れられるかちょっと不安だ。」みたいなこと書いたんだけど、全く以てすんなり受け容れられてしまいました『Gold ~また逢う日まで』。もう最初のワンコーラスの時点で。自分でも吃驚だったよ。凄いねこれ。

単純に、いつも通り、ヒカルの歌詞とメロディの組み合わせ方が秀逸で、まるで「この言葉にはこの音の運びを添えるのが当然」かのように思わされてしまっているのよこの一ヶ月。寧ろ尾崎紀世彦の方のメロディを思い出すのにワンクッション要る位になってしまった。アタマの固くなった平均余命半分超え人間にしては極めて珍しい現象である。今や『また逢う日まで』といえば宇多田ヒカルである。どうなってんだこれ。

それくらいナチュラルにしっかりしっくりいってるこの節回しと言い回し、本来は「別れの挨拶」として確立したものだと素直に思い込んでいたが、そう、御存知のようにこの歌『Gold ~また逢う日まで~』には

『別れの言葉じゃなく、独り言』

という歌詞がある。ホント待って、「また逢う日まで」って「次の約束はしてないからいつになるかわからないけど、また逢えたらいいね」とか「お互い元気で過ごしましょう」とか、そういう「別れの言葉」じゃないの?? そうか、違うんだね。そして『独り言』なのね。相手が目の前に居ない時に自分に向かって呟く言葉なのか…。

なのでここの歌詞は、聴き手によって受け取り方に幅が出来るよなぁ。「もう永遠に逢えないからこそ独りで呟く言葉」とも取れるし、「永遠の別れにしたくない=いつか本当に会いたいからこそ、それを貴方に実際に直接告げることはしたくない」とも取れる。絶望から希望まで結構なグラデーションが出来そう…

…と、ぼんやり思ってたんだけどねぇ。先日のTBSの出演でヒカルがそこらへんの所をどう捉えてるかわかってしまう遣り取りがありましたわ。

例の、『40代はいろいろ♫』でも触れていた「今は一旦閉めてるけれどもまたいつの日か再開したいと願っているカレー屋さん」のエピソードを披露した時に、話の締め括りとして

『いつかまた、また逢う日まで

と呟いて見事に今回歌う歌のタイトルに着地してアンタまるでさだまさしのような鮮やかさやな完成された小咄やなと感心していたらすかさずヒカルが

『ちょっと、あんま結びつけない方がいい(笑)』

と手を振って制したのですよその瞬間。最初は「そこの歌詞を歌うときにカレー屋さんの事を思い出して笑ってしまってNG出しそうになるかもしれないから」結びつけないで欲しいと言ったのかな?とも思ったのだけどこの時の笑い方を見返してみると「ヤバいことが起こった時の笑い方」してるのね。「HEY!HEY!HEY!」のこと『Mステ』って呼んじゃった時みたいな(笑)。てことはもうちょいどぎつい意味なのかな? つまり、「この歌の『また逢う日まで』は“永遠に逢うことがない人”を想って歌う歌だから、もし結びつけたらカレー屋さんが永遠に開店できない事になってしまって非常に縁起が悪い!」ということであの豪快な笑い方での“否定”をしたんじゃないかなと。

なので、この遣り取りをみて私は、「ヒカルとしてはこの『独り言』は逢いたいための願掛けとかでは微塵もなくて、永遠の別れそのものを表してるんだな」と解釈するに到りまして。勿論歌詞をどう捉えるかってのはリスナーの自由なんだけど、どうしたって作詞者の「本来の心づもり」って気になるからねぇ。なんか、思わぬ所で「公式解釈」が発表になった感じで今回は少々面食らったのでございました。…ん?そこはカレー食っとけよって?? いや「麺、喰らった」じゃないからっ!!(笑) (でも実際「面食らう」の語源は「麺棒」らしいのよね…)