っとと、このまま次は『Gold~』のTaku's Remixのリズムの割り振りの話に突入しようかなと思ってたんだけど、よく考えたらこの日記でオリジナル・バージョンのことについて全然触れてないんだわ。あんまりにもこの一ヶ月供給があり余り過ぎていてそちらに反応してるうちに6週間近く経っちゃってたのね。どれだけ供給が分厚かったかがよくわかるよ…贅沢の極み…。
ということは、だ。前回の内容すら勇み足じゃないですか、えぇ。ここはちゃんと立ち返って復習しておかねば。
まずはこう宣言。
『Gold ~また逢う日まで~』は、四半世紀近い宇多田ヒカル史上、
「ひとつの同じメロディに対して、いちばん数多くの種類の歌詞をつけた歌」
になっているのでした。それが前回触れた箇所なのだけど、今度は改めて、楽曲全体4分14秒でどうなっているのかを書き下してみよう。鉤括弧(「…」)で囲まれてる部分が総て同じメロディなんですよ、えぇ。
・じゃないけど「嫌なことなんて」
・思い出話の「花になる迄」
・景色から目を「離せない」
・「また逢う日まで」
・「また逢う日まで」
・「また逢う日まで」
・捕まえて言う「おととい来やがれ」
・涙はお預け「また逢う日まで」
・アンドロメダも「勝負にならぬ」
・一番いい「とこが始まる」
・たしかそんな「意味だったはず」
・捕まえて言う「おととい来やがれ」
・涙はお預け 「また逢う日まで」
重複してる部分もそのまま数えると8種類で13箇所だ。同じメロディ同じ歌詞でならもっと回数多い曲は他に幾らでもあるけれど(例えば『traveling』では24回『トラーベリン♪』て歌いますわね)、8種類の異なる歌詞ってのは多分ないはず。たしかそんなはず。たしか、そんな、そんなはず~♪(ついつい歌いたくなるよねここ)(てか、これについて「9種類以上ある歌あるよ!」って気がついた人居たら是非教えて~!)
てことで今度はその該当箇所を、前回同様「メロディが同じであることがわかりやすくなるようにひらがなで」書き下してみるぞ。
「やなこと・なんて」
「はなにな・るまで」
「はぁなぁ・せない」
「またあう・ひまで」
「おととぃき・やがれ」
「しょうぶに・ならぬ」
「とこがは・じまる」
「いみだっ・たはず」
厳密にいえばところどころ節回しが異なっていたり、特に『おととい来やがれ』はそもそも字余りなので微妙に音程自体複数箇所で異なっていたりするのだが、基本的には同じメロディとして扱う。というか、扱いたい。というのも、この歌は、もう皆さんお馴染みだと思うけど、
『また逢う日まで』
と
『おととい来やがれ』
が対になっている所が肝だからね。「また逢う日まで」っていう上品な別れの挨拶の定型句と、「おととい来やがれ」っていう下品で粗野な別れの挨拶(というか追い返し文句とでも言うべき!?)。「未来のいつの日にか」と「2日前(おととい)」。そして『逢う』と『来る』。何もかもが対比になっているのにも拘わらずメロディ自体はおんなじっていうのが、この曲でヒカルが言いたかった事を表現しているのよ。もう逢えない人に逢いたい気持ちと、悲劇を追い払いたい気持ちは同じ根っこを持つ感情の表と裏なんだよね、っていう。
…と、まぁそこまでは今までもしてきた「宇多田ヒカルの聴き方」で対応すればいいんだが、その2箇所だけでなく13箇所(8種類)で同じメロディで違う歌詞となると、「作り手の遊び心」以上のものがあるのかどうかは、今んとこ私は読み取れてませんのですわ。ヒカルさん、ちょっと進化し過ぎです…!
ただ、そのメインの歌詞が『また逢う日まで』だからこそ、このフレーズがサブタイトルになったんだというのは、押さえておきたいポイントですわね。ヒカルが言うには当初は『Gold』だけにしようかと逡巡してたけど、沖田さん?もサブタイトルがあった方がいいと(後日に)言ってきたしということでこれが採用になったようなのだけど、いつもとは違う様子でありつつも、『トラーベリン♪』と24回リフレインを歌う歌のタイトルが素直に『traveling』になったように、いちばん多くリフレインするメロディの箇所の代表的な歌詞がサブとはいえタイトルになったのは、非常に的確適切だったかと、思いますですよ。これもまたアートに於ける「痛みを伴う決断の数々のひとつ」だったんだろうね、歌のタイトルを最終的に何にするかは。私はバッチリハマってたと痛感したですよ、今回これを纏めててて。
んで、最後に。実をいうと『輝けるもの』『見つけたもの』『ならないGold』の部分のメロディも、半分位は同じ動きなんだよねぇ。そこまで合計しちゃおうかなとも一旦は思ったんだけど、今回の所は外しておきました。もしかしたらここんとこ、いつか気が変わるかもしれないのでこうして付記しておきますね。