無意識日記々

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『来やがれ』×『入れるの』=「格好良さ」×「優しさ&可愛さ」

自分で書いといて何なのだけど、次のテレビ出演までもうあと70時間しか無いんかいな…早ぇなぁ矢継ぎ早じゃん何もかも。そうこうしてるうちにMVのプレミア公開とかもやってくるんでしょ知ってる…昨年もそうだったけど、夏は熱いなっ!

で、そうそう、『いつか起きるかもしれない悲劇』の話の続きが飛んでたんだったか。そこの部分の歌詞を見てみよう。

『いつか起きるかもしれない悲劇を

 捕まえて言う「おととい来やがれ」

 楽しい予定をいっぱい入れるの

 涙はお預け また逢う日まで

最初「楽しい予定をいっぱい入れるの」の歌詞を聴いたときに「こりゃノベルティは間違いなくシステム手帳だなっ!」と確信していたってのにまさかの小判と鏡というね…。

で。ここの歌詞は要約すると

「来たる悲劇に「来るな」と言う」

という事になる。

ここの私の第一印象なのだが、どうにも人は「起きるかもしれない悲劇」に対して過敏に心配し過ぎる傾向にあるようで。「人は」の部分は「最近は」とか「日本人は」とか好きに変えてくれていいけど、それが誰であれ、そういう不安に常に駆られているのにじゃあ何か行動を起こすかっていうとオロオロするだけで何もしない、そういう人に対して「楽しいこと考えようよっ!」と“ケツを蹴り上げて”くれているように思ったんだ。第一印象でね。

あたしがヒカルさんに蹴られたいという性癖(なの?)な話はさておいて、「パイセンに発破を掛けて欲しい」というニーズは結構有るはず。なのでヒカルさんはそのニーズに見事応えたのだ。

ここで妙技なのは、我々に対しては結構柔らかい言い回しをしていること。『楽しい予定をいっぱい入れるの』。ここの『入れるの』がいい。独り言として自分に言い聞かせているようでもあり、或いは「ここはこうすればいいんだよ」と優しく助言してくれているようでもあり。鬱陶しくならない距離感をこの『入れるの』が見事に捉えている。素直に聞きたくなるのよねこの絶妙さ。

一方、「発破を掛ける」と言った時の「威勢の良さ」は『「おととい来やがれ」』の言い回しに集約されているが、これを面と向かって言われたのは“悲劇”クンの方だ。我々じゃない。ヒカルパイセンに正面切って「おととい来やがれ!」と言われたらショックだもんね。「だがそれがいい。」とかいやねだから特殊性癖の人は放っとこうよね。(…俺?)

この、「威勢よく発破を掛けられる人が優しくアドバイスしてくれる」感じが何とも心地良い。ヒカルさんの格好良さと優しさ&可愛さの両方がいっぺんに味わえる秀逸なパートなのでした。

…というのが第一印象なのだけど、楽曲全貌を把握した後にここの歌詞を吟味するとまた違った印象が押し寄せてきた。そこらへんの話からまた次回…となるかどうかは最新情報の動き次第で! …こういうのって、幸せな時間だねぇ…いつも追いかけようったって無理なヤツだわな。