無意識日記々

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すっぴんメイクで揃えても美人揃い

で週末、特に金曜日はアルバム発売日並みに情報量の多い日だった。リミックスの発売にラジオ出演にインスタDJライブに、人によっては銀幕MV上映だもんね。

そんな中でインスタライブを聴いてる時にあたしがメモ代わりに呟いたのがこちら。読まなくていいです。飛ばして構いません。

「テンポを一定にした方が宇多田ヒカルのポップソングメイカーとしてのカラーが明確になる現象、あれか、同じくらいキャッチーなのにサウンドが多彩なせいで散漫な印象を与えがちな後期ザ・ビートルズも初期のシンプルなR&Rサウンドの方がキャッチーに聞こえるのと同じだわ。」

「なので1999年から2016年にとんで2023年に着地しても全部おんなじくらいキャッチーな曲に聞こえるのよねぇ。とんでもなくハイレベルでクォリティが安定してるのを再々…々確認。」

「これだけ全曲いいとAutomaticやFirst LoveがOne Of Themに聞こえてくるなぁ…まぁどの曲もなんだけど…… 逆説的過ぎるよ …」

メモなので意味がよくわからないけど、要するに宇多田ヒカルの楽曲にはいろんなアレンジ、いろんなテンポがあるけれど、アレンジとテンポを揃えるとメロディが剥き出しになってそのクォリティが全部高い事実がより鮮明になると、そういう話。

折しもヒカルが…ってちょうどその金曜日のラジオ出演が文字起こしされてたんだった。引用しよう。

『宇多田:全部、“音楽は音楽”としか思えない。リズムの要素とメロディーの要素。音の周波数の要素と、無音と無音じゃないところのメリハリ。2つの要素があるだけで。たとえば曲のアレンジでは、ベースの音色ひとつ変えるだけでジャンル感も変わるし。ジャンルってすごく曖昧というか、すごく表面的なことだなと。私はたぶん、作曲とアレンジを同時にやっちゃうから、そう感じると思うんですよね。例えると、人が曲だとしたら、アレンジはいかようにも着せ替えられる洋服。だからリミックスとかもできるという意味で、「シャツを替える」ぐらいの感じでアレンジやジャンルがあるのかなと思っています。』

https://block.fm/news/utada_taku_talk

ヒカルがいつも言ってることではあるけれど、特に今回の『Gold~』のプロモではこの点をよく強調している気がする。「曲が人ならアレンジは服」─とてもわかりやすい。今回のインスタライブは、それに擬えれば「違う人に同じ服を着せて並べてみました」みたいになってた訳だ。或いは、

「いろんなメイクで美人に見えてた人たちをすっぴんメイクで統一してみてもやっぱり美人揃いでした」

みたいな話かな? ルッキズムウザいとか言われちゃいそうだけど今回は許して。次はもっといい喩えを思い付かないとだね。

勿論関わった誰もそんな意図でリミックスしてた訳ではなかったけど、はからずもそのような印象を私に与えるに至った。1999年の『First Love』も2010年の『Goodbye Happiness』も2016年の『道』もそして2023年の『Gold ~また逢う日まで~』も、テンポとアレンジを揃えるとどれも同じくらいキャッチーでエモーショナルなメロディの強さを感じさせてくれて大満足なのでありました。

これ、裏を返せば、ヒカルさん毎回アレンジを凝り過ぎてそっちに注意が惹き付けられてしまい、肝心のメロディの良さに寄せられるべき喝采の数々がほんの僅かに減ってるんじゃないのという指摘もしたくなる訳ですよ。となると。そうよ、そろそろ「Utada Hikaru Unplugged 2」をやるべきかもしれないですわね。アレンジを削ぎ落としてシンプルなバッキングでヒカルの歌声とヒカルの生み出したメロディと歌詞に今まで以上に焦点を当てたスタジオライブですわね。あたしゃ元祖『Utada Hikaru Unplugged』ですら音入れ過ぎだと思ってるクチなので、今度はもっと大胆に音を削ってやってみてほしいかな。スリーピースバンド縛りとかでもいいかもしれない。ま、そんなことも考えたのでありましたとさ。次は抽選当たりたいねぇ。スナックヒカルにようこそされたい!