無意識日記々

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「ごはんですよ」と思わせる曲を書けるか否か

Hironが紹介していたネトフリドラマ「舞妓さんちのまかないさん」を観てみた。わたくしもう点けた瞬間に気に入っていたのだがはてさてこの画面から漂ってくる好ましい雰囲気の源泉は何なのだろう? 役者さんのお芝居? 京言葉訛り? カメラアングル? 照明の度合い? フォーカスの深度? と色々考えて「あら、音楽だわ」と思い至った。クレジットをみたら音楽は菅野よう子。なるほど大納得。日本が宇宙に誇る大作曲家その人であった。

…その昔、照實さんがTwitterで彼女のことを知らないというので「日本発のミュージシャンが彼女のことを知らないのはマズイ」と説教した事がある。怖いもの知らずというかなんというか若気の至りというか…と思いきや、今同じ事を言われても同じように返すだろうね私。それくらい菅野よう子は凄い。思わず今日一日「舞妓さんちのまかないさん」のサントラを聴いて時間を潰してしまった。はい、非常にようござんした。

…って枕が無駄に長くなったな書きたいことやまほどあるのに。そう、こんな話をしたらそりゃ「ヒカルさんはドラマや映画のサントラは手掛けないの?」という興味が出るわよね。今までも散々そんな話をこの日記でしてきてたけどこの度、インタビューでなかなかな発言がありましたわよ。

MUSICAのインタビューで有泉編集長が、映画「キングダム 運命の炎」の主題歌の依頼が来たときにどのようなアプローチで作ったのかを訊いた際、次のような前置きをしていたのだ。(つまり、単なる前置きであってその質問への回答ではない。)

『映画音楽ではないので、注文を受けてそういう曲を作るということはない』

と、こんな風に。取り敢えずMUSICAの掲載をそのままコピペしたけど、喋ってる時のニュアンスからそう乖離は無い。「今回映画音楽を作る依頼を受けたわけではないので」というよりも、どちらかといえば、一般論として「私は映画音楽を作ることはないだろう」という見立てを言葉にしたようにみえた。宣言というより、己の音楽家としての性質を考えたときにそれはちょっとなさそうだ、やらなそうだ、そんなオファーは承けなさそうだ、とそんな感じかなぁと。

その理由については、Spotifyのインタビューでも答えているとおり。

『タイアップがあると「書き下ろし」というじゃないですか。だけどタイアップのある作品のために書くことはないんですよ。曲の内容を自分では選べないから、その時に考えていることや感じていることだったり、「これを書きたい!」と思ったことがタイアップに合わせられるかな?という感じでちょっと寄せるのか、自分から出てきたものと作品に多分に含まれている感情みたいなテーマとリンクする共通点が見えるとできるんです。』

https://spice.eplus.jp/articles/320799

『曲の内容を自分では選べない』。これに尽きている。ヒカルはそういう音楽家なのだ。

例えばそれこそ菅野よう子は凄い数のサントラを手掛けている訳で、勿論曲の内容を自分で選んで書いている、はずだ。「舞妓さんちのまかないさん」でも、「朝ごはん」という曲を聴いたら「ほんまや、朝ごはんの時に流れてそうな曲やわ」となったし、「マドレーヌ」も如何にも英国風ティータイムが訪れたような楽曲だ。プルーストもきっと大喜びだろう。サントラを書く人は「いかにもこういう場面に相応しい曲調」を新しく書き下すための膨大な量のレシピを携えている。

ヒカルも多分、ただ作るだけなら作れるんだと思う。しかし、普段書いてる歌もののクォリティには達さないんじゃないかな、と推測する。だったら私がやる意味ないよね、と。

一方で、これまた何度も引用している通り、

『自分の海原の時間帯とか海流とか風向き、魚の生態とかもちろんよく知ってるし、どうしたら捕まえやすいか、自分の釣りやすい場所は分かってるんです。』

と自信を持っているのが今のヒカルだ。恐らく、これは「作曲家宇多田ヒカルとの長い付き合い」の中から学んできた経験の蓄積の賜物なんだと思う。選べばしないが、捕まえる分には随分と成長したよと。

これ、この傾向がもっと増していけば、そのうちサントラも作れるようになってくるんじゃないかなと思わされる。それはきっと、菅野よう子のような何でもござれな仕事人というよりも、エヴァとの出会いのように、宇多田ヒカルとその作品の相性にのみ成り立つ関係性の上に立って初めて生まれてくるような音楽に依拠する、そんな一期一会な出来事になるんじゃないかな。そしてそれは、未来にヒカルが書いた自筆小説の映画化の時がいちばん可能性があると思っていたのだが、これもしかしたら息子が将来映像系の仕事に就くパターンとかの方が有り得るかも??と何の根拠も無くそう思った。今んとこダヌくんにそんな兆候は一切みられてない(というか私たちにそんな話は開示されていない)から妄想としてすら物足りないのだけど、ここは何か劇的なものが将来起こりそうな気がする。だって、彼からオファーがあったら流石に検討するでしょ。自分が子離れした証明にもなるし。てなわけで、ヒカルさんの書くサウンドトラックを一生に一度は体験してみたいものですわ。