無意識日記々

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ほの昏く紅い灯りが繋ぐ歌

自分が『俺の彼女』を『Devil Inside』と関連付けて語りたくなっているのは、偏に『Laughter in the Dark Tour 2018』でのアンコール1曲目で『俺の彼女』が始まる直前の昏く紅いライティングを見た瞬間に『Devil Inside』を想起したからだ。

『Devil Inside』の『Devil』とは、ヒカルの中に(或いは一般化するなら一見天使のように見える女性に)潜む「魔性」の事を指すのだろう、という話だった。魔性─「悪魔のような人を惑わす性質」とは、ヒカルが昔から自らの特技として自覚している事だった。UTADAとしての全米デビューを告げるこの曲でヒカルは自らの本性をストレートにぶつけてきていたのだ。

そこにある女性ならではのあやしさ─ここは「妖しさ」と書くべきだろうね─を引き継いでいる事、それをアンコールでの『俺の彼女』の照明効果が指し示していた。

『俺の彼女』のライブ・アレンジは、当時のライブレポでも書いたことだが、バックを固める手練れ達の平均年齢の高さを表すように20世紀のロック・クラシックスたるLED ZEPPELINの“Dazed And Confused”のイメージをベースにしたものだった。邦題表記にするなら〔レッド・ツェッペリンの「幻惑されて」〕という風に書けるだろうか…という所でふと気がついた。この“Dazed And Confused”の邦題「幻惑されて」ってつまり「幻で惑わす」…「幻」はフランス語で「Fantôme」だよね…あぁつまり、「俺の彼女」が収録されているアルバムのタイトルと、ヒカルの従来からの特技「惑わすこと」を組み合わせたものになってるのか…

…なんて風な思考、もちろん実際にはこの世のどこにもなかっただろう。私が勝手に連想を繋げただけである。しかし、この「連想が繋がる」という事実がいちばん重要なのではないか。ライティングといい、歌詞の構造といい、歌われるテーマといい…そういや2曲ともアルバムの2トラックめだしな(2曲目、とはあんまり言えないけどもね)。抽象的なレベルでの感覚が繋がり合う事で、宇多田ヒカルに内在する性質なり特徴なりを抽出して表現し、よりヒカルのことを深く知る端緒としていけるのだ。これ以上に重要なこともそうそうないだろう。

着想とは異質なもの同士を繋げること。例えば今週のここの日記を読んで、もしかしたら『Devil Inside』と『俺の彼女』を(生まれて初めて!)並べて聴いてみてくれた人も在るかもしれない。掛け値無しに有難い。それこそが新しい着想との出会いがもたらしてくれる喜びである、はずだ。たしかそんなはず。(そこは自信持てよ)

そして、もし更に余裕があるのならこの2曲のそれぞれライブ・バージョンで比較をしてみて欲しいのだ。より互いの相似点が際立はずだから。こちらは、確かに確かだよ!(笑)

ご存知のように『Devil Inside』は『UTADA UNITED 2006』DVDと『In The Flesh 2010』配信版で、『俺の彼女』は『Laughter in the Dark Tour 2018』DVD/Blu-ray/Netflixでそれぞれ聴く/観る事が出来るのだが…ディスクの入れ替えとか面倒だよねぇ…そう、こんな時に昔のライブが音源としてサブスクストリーミングされてたら2曲並べたプレイリストを作って広められるのに! みんな気軽に聴き較べが出来るのに! なんとも、もったいないなぁ。

余談になるが、改めて、昨年『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios 2022』がリリースされたのは画期的だったなと思わざるを得ないわね。今後もヒカルのライブが音源化されてサブスクでも聴けるようになっていって欲しいわねっ。そうすりゃこういう日記ももっと書き易くなるってものですわ。