無意識日記々

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『俺の彼女』はアンコール1曲目だった。

豪快に寝過ごした。

気づいたら朝。気を取り直して。

次に話題に出そうとしていた『俺の彼女』は、5年前の全国ツアー『Laughter In The Dark Tour 2018』の(…と、毎回一応全国ツアーって書いてるけど、最北埼玉最東端千葉最西端福岡って、日本列島の半分も巡ってないよね…特に東北・北海道の人達からしたら「どういうことやねん」てなるよな。九州だって福岡だけだと遠過ぎる人ばかりだろうし…)アンコールに歌われた楽曲である。この位置付けは凄まじい。2006年以来12年振りの日本ツアーで、しかもその間6年半商業音楽活動停止中で、戻ってきてからのコンサートのアンコールですよ。実際、その後に続いたアンコールはデビュー曲にして宇多田ヒカル唯一のダブルミリオンシングル曲『Automatic』と、人間活動突入前最後のビデオ制作曲にして『WILD LIFE』のオープニング曲『Goodnye Happiness』であった。完全なる節目曲2曲。この2曲に先んじての『俺の彼女』。とんでもない重責である。

確かに選曲したのはなりくんなのだろう。だが、最終的にその選曲に同意して採用したのはヒカル自身なのだ。『俺の彼女』にそれだけ自信があった事が窺える。

この曲は、もう7年前リリースの曲だが、確かにヒカルの“芯”となる部分が表現された楽曲だ。基本的な歌詞は「男女の心のすれ違い」を描いているが、これは例えば2002~2003年発表の『Simple And Clean』の歌詞と共通するテーマだ。同曲の日本語バージョンは言わずとしれた自らの名を冠した『光』だよね。

また、前回共通点があると示唆した『Devil Inside』はUTADAの全米デビュー曲。宇多田ヒカルにとっては『Automatic』にあたる、自己紹介を兼ねたポジションにある重要楽曲なのだ。

そういった「顔」としての側面をもつ楽曲たちと同じ方向性を持つ世界観。繰り返すが、しかし、『俺の彼女』は、『Fantôme』発売前後に特に役割を与えられなかった。『花束を君に』&『真夏の通り雨』のような復帰を飾る名曲でもなく、『道』のようにアルバムのリーダートラックとして大量にオンエアされるでもなく(Amazon MP3ランキング年間3位だっけか)、また『2時間だけのバカンス』のように話題性抜群のミュージック・ビデオが作られるでもなく、『人魚』のように美術館で流れるでもなし。ノーシングルカット&ノータイアップの、所謂「アルバムの中の1曲」に過ぎなかったのだ。

その、そこまでの扱いに対して、「コンサートのアンコール1曲目」のポジションは、総てを払拭するまでにはいかないものの、それなりのインパクトがあったのは間違いない。『Laughter in the Dark Tour 2018』はNetflixでも観られる為、かなりの人が視聴しているだろう。何割の人がアンコールにまで辿り着いてるかは知らないけども。

だが、かといって、では次のツアーでも歌われるまでの知名度なり期待なりを集めているかというと、そこまで行ってないかなぁというのが正直なところ。あの圧倒的な存在感をナマで体験できる事は今後あるのだろうか? もっとコンサートの頻度が高ければ有り得るのだろうけども、その後も2枚のとんでもないオリジナル・アルバムを立て続けに追加されてしまった為コンサートの選曲はより狭き門になってしまった。いつかまた観れたら、いいんだけどねぇ。