無意識日記々

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前回の纏め記事にコメントする筈が話が逸れちゃった件

てことで前回纏めた「過去24年間のデビュー記念日」について仔細に見ていこう。

一目見て窺える特徴は、最初の10年は余り熱心に公式からのアナウンスでデビュー記念日を祝おうという機運が無かった事。12/9という日付に合わせたと判断できるのは2000年のボヘサマDVD&VHS発売くらいでな。こちらは土曜日発売という異例さなので意図的だった事がわかりやすい。何もなければ新作新譜は水曜日にリリースされるものだからね。

じゃあその間はデビュー記念日に何をやっていたかというと、もう単純にその時にリリースする/した新曲等のプロモーションだった。1999年は『Addicted To You』、2001年は『traveling』、2002年は『COLORS』、2003年は武道館ライブ『ヒカルの5』、2005年は『Passion』、2006年は『ぼくはくま』、2007年は『Stay Gold』と、何れもこの時期にヒカルが何らかの形で稼働していた為、わざわざ公式が告知やリリースでデビュー記念日を祝わずとも世間に目下の宇多田ヒカルの活動が知れ渡っていたのだ。

なお、本当に何もなかった2004年だが、本来なら全米デビュー作『EXODUS』を絶賛プロモーション中だった筈なのに、ユニバーサル/アイランドデフジャム/アイランドレーベルは、驚くほど何にもしなかった。呆れるほど何もしなかった。EMIとしては他の会社にヒカルの身柄が奪われているのだから12/9に何かしようったって身動きひとつ取れない訳でね。後から振り返ってみればこの時期は任天堂CMの撮影や『You Make Me Want To Be A Man』PVの制作など、ヒカルも幾つか仕事をしていた筈なのだが、アイランドのA&Rは何一つ情報を発信してくれなかった。たまにヒカルがよくわからんパーティーで写真撮られてたのが流れてきたくらいだったかな? よく覚えてないのが悔しいけれど、多分当時日本でいちばん熱心にUTADAの英文Web記事を日本語に翻訳していた私がそんな程度の認識しか持てなかったのだから、恐らく日本の誰もこの時期のヒカルが何をしていたかを知らないんじゃない? 友人知人を除いては。いやまぁそれは言い過ぎにしても、メッセも更新停止最長期間だったし(約8ヶ月間)、キャリア上最ももどかしい時期だったねぇ。結局私も、その頃のアイランドのA&R(レコード会社担当氏)の名前ひとつ知ることはなかったよ…

…って、話が思いっ切り逸れてしまいましたすいません。そう、宇多田ヒカルのデビュー記念日を祝えるというのは、その時にヒカルが「デビューしたレコード会社/レーベルで仕事をしている」事が大変大事な条件なのだった。でないとなかなか素直に祝うことが出来ない。デビュー当時ラジオ局で『Automatic / time will tell』を掛けて貰おうと日本中を駆けずり回っていた梶さんが今でもいらっしゃってくれるから、こうやってストレートに感慨深く祝えてるのよね。ほんに有難い事なのです。

なお、その最初の10年、確かにレコード会社からのアクションは少なかったのだけど、ヒカル本人(と照實さんをはじめとしたスタッフの皆さん個人個人も)はその都度しっかりお祝いの言葉を述べている。1周年はラジオで、2周年や4周年はメッセでその言葉を確認することが出来る。…あぁそうそう、ラジオなのに今も確認できるのは当時文字起こししてくれた方々がいらしてくれてるお陰なのでありました。ほんにこれまた有難い事ですm(_ _)m

https://hikkimania.com/?cat=64

てことで、繰り返しになりますが、最初の10年については「ヒカル本人やスタッフが個人的にお祝いのコメントをすることはあっても、レーベル全体として何かデビュー記念日に動きを作ろうという機運は余り無かった」というのが、実際の所だったのでありました。この風向きが少し変わるのが1998年のデビュー10周年記念日で…という話からまた次回、、、になっちゃうか。今回何も話が進んでねーな。…私が話を逸らしすぎたせいだよっ!(;¬_¬)