無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

自分の為にグダグダアウトプット(前回の続きにして〆)


かなり早い段階でヒカルパイセンが呟いてくれたわね。



『「何色でもない花」MVのプレミア公開観てくれたみんなありがとう!


撮影手法は企業秘密とのことなんだけど、合成じゃなくて私も振り付けしてくれたアオイヤマダさんもスタッフも撮影チームもみんな氷の上で滑ったり震えながら作った映像です。今までで一番体張った撮影だったかも[emoji:331]


本当にきれいな場所で、足元の雪が虹色に見えた瞬間があって寒さで幻覚でも見えたのかと思ったら、雪面の46°ハロっていう現象だったみたい』

https://x.com/utadahikaru/status/1757222875571101957?s=46



くぅ、そんなに苦労したんだな。身体を壊してなければよいのだが。


『合成じゃなくて』というのは私そうなんじゃないかと思ってた。(って後出しで書くの恥ずかしいんだけど、こんなに早い段階で呟くと思ってなかったから後手に回った)。というのも、どこかを合成にするなら全部合成にすればよくて、ならわざわざアーティスト本人が帯広まで出向く必要はなく(旅費もかかるしね)、全編スタジオで撮影して後から合わせたらいいんだから。折角出向いたんだもの、出来るだけそこでの撮影を活かしたくなるわさね。


クレジットには「スタント・コーディネーター」さんと「スタント・アシスタント」さんの名前があるが、これが代役の人のことなのか、ヒカルがチャレンジするのを助けた人の事なのかはわかんない。マルセイユん時みたいなことも一部にはあるかもしれない。思い当たる箇所はないけども。


いずれにせよ、ヒカル渾身の映像作品ということなので、その思い入れを加味して見直したら…見直しても…やっぱギャグだなぁ…なんなんだよ超高速90°お辞儀速射砲って…どうシリアスに捉えたらいいんだよ…等速なら単なる振り付けで終わってたろうに。


いやいや、そんなことを言ってるけど、いちばんのポイントはそこじゃないんだ。別に映像をどれだけ加工・編集しても構わないんだよ。全編CGでもいいし、総て精巧なアバターが演じていて宇多田ヒカルは1ミリも出てこないのでもいいんだわ。困惑のいちばんのポイントは、そうやって出来た映像が、楽曲と合ってないこと。もっと言えば、歌をリスペクトしてるように感じられなかった事なのだ。


確かに、たま〜にリップシンクが合う事もあるのだけど、申し訳程度というか…いや、頻度の問題じゃないな、「曲の感情の流れを全然掴んでいない」のが問題なのだ。あれを観ると歌の良さが減る。減ってもなお魅力的に響くのが確認できたのはよかったけれども。


どうにも、ミュージック・ビデオというのはそういう逸脱が多い。宇多田ヒカルも今回餌食になり、例外ではなくなった。


これがもし、宇多田ヒカル名義で曲のタイトルを冠した映像作品ではなかったのなら、こんな事は書いていなかった。監督名義で、曲はあクマでBGMとして採用、出演者のひとりとして宇多田ヒカルにご登場願っただけの、全く別のタイトルを名付けられた作品という体裁であれば、こちらも曲を活かすことを期待しなかったよ。映像が主役なんだな、曲と合ってないな、で特に感想も書かずにスルーしてたよ。でも、宇多田ヒカル名義で曲タイトルがついてるんだもん。書かずにはいられなかったさ。


そういう、「名前の付け方と触れ回り方」が凄く大事だという価値観を、映像系の人は持ってない事が多いように思われる。いやその映画に「Casshern」て名前つけちゃダメでしょ…って思ったもんね20年前も。まぁ、それは原作者さんや権利者さんやファンの皆さんが決めてくれたらいいことなんだけどさ。


でもこれは、「宇多田ヒカルの『何色でもない花』のMV」っていう触れ込みだからね。主役はヒカルと歌だという前提で観るのよ。観たのよ。で観てみたら曲が活きてなかった。なんだったら馬鹿にされてる気すらした。何よりもどかしいのは、脳内でヒカルの動きを等速になおすと、とても曲の流れと歌詞に合った動きをしているであろうことがみてとれたこと。つまり、「余計なことをしなければ」このMVは素晴らしかったと絶賛してたのよ私きっと。そこの惜しさが私の筆を走らせてる。惜しくもなかったらこれまたスルーしてたかもね。今回のMVは触れなくていいや、って。無理だったねぇ。


…嗚呼、『30代はほどほど。』の3DVRがデジャヴるな…(遠い目)。


例えばここで、再生回数とかそういうのを気にするのならば、『何色でもない花』をバックに宇多田ヒカルがその歌に合ったコンテンポラリー・ダンスを踊るだけのMVは、確かにヒカルのファンとこの曲を好きな人の間でしか話題にならないだろう。その懸念はよくわかる。もっと広範な人に届く作品にしたいという欲が、このような人目を引く演出の導入に到らせたのかもしれない。そこの判断よねぇ。


あたしから言わせれば、『何色でもない花』は、好きな人が世間の声に煩わされる事なくひっそりと愛するのが曲に似合っているなと思うので、この曲を愛してくれそうな人々に丁寧に伝えていく事が大事だと思ってる。ドラマ「君が心をくれたから」をずっと観てくれてるような人たちよね。視聴率は相変わらず振るわないらしいけど、それでもいいじゃないのさ、それでもドラマを観て主題歌が流れてくるシーンで毎回泣いてくれるような人たちに確実に曲を聴いて貰えるようにプロモーションしていこうよ。


宇多田ヒカルは、もう今更「出す曲出す曲総てが大ヒット」みたいなプレッシャーに晒さられる必要はないと思うの。宇多田ヒカル史上どころかJ-pop史上最高傑作とまで言われたアルバム『BADモード』にだって、『誰にも言わない』みたいにシングルリリースされてもそんなにヒットしなかった楽曲は収録されていて、そしてその曲は長らく愛され今後もずっと細く長く愛されていく雰囲気を保ってる。『何色でもない花』も、そういうポジションでいくんだろうなぁとそう感じてます。いろんな愛され方をする曲をリリースしていける立ち位置に、ヒカルはもう居ると思うのよね。だから…


…うん、まぁもぉしゃあないから、ここからは、このMVがどこかで嗤われないように祈るしかないわ。そういうあたしが嗤ってんだけどね。あーやだやだ自己嫌悪。


はい、雰囲気をこれ以上グダグダにしたくないので、MVの話はここまでにします。うん、でも、こうやってグダグダ書いたお陰で結構心がスッキリしてきたぞ。やっぱりポジティヴであれネガティヴであれ、自分の感じた事を素直にアウトプットすることで、前に進むことが出来るんだなと実感中。次回からはいよいよ曲の話を致しましょ。『何色でもない花』のフルコーラス、本当に素晴らしいんだから!!