無意識日記々

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ある雨降りのお休みの日に拙く乏しい言い訳をひとつ

前回の「何色でもない花」「君が心をくれたから」の感想を総評的に捉えると、

 

「いいドラマだったが、面白くはなかった」

 

というあたりが妥当になるかな。「絵も音もよかったが筋はイマイチ」とかでも、いいけれど。

 

つまり、あれはあクマで「娯楽作品として」の評価でしかない…と、今回言い訳をしにきたのは他でもない、あれだと「自己肯定感が低い人はつまらない」と言ってるようにしか読めなかったから。私自身としても、その評価を現実に当て嵌めるのはちょっと待ってと言いたくなったのだ。

 

どうしたって自分自身の価値を信じ切れないケースは出てくる。その人の性格や生い立ちもある。それは、どれだけ才能や実績を積み上げようと、必ずしも身につくものではない。

 

宇多田ヒカルといえばNY生まれの優等生、遅刻は多くとも成績はオールストレートAで飛び級を二度経験し、伝統あるコロンビア大学に「近かったから」という少女漫画に出てくる気怠げ系イケメン(誰かいい例はないかと思ったけど…もしやSLAM DUNK流川楓がいちばん有名なのかこのポジション!?)みたいな事まで言い出す始末。そして勿論本業での実積も飛び抜けていて長者番付に載ったことすらある(若い子はそんな番付の存在自体知らないかもだけど)。それだけ他者を圧倒する才能がありまくる身でも、「今まで自分のことを蔑ろにしていた」と27歳にして皆さん御存知人間活動に入ったのだ。『WILD LIFE』のMCで「自分のことを大切に」と切々と訴えてくれた姿を昨日のことのように思い出す。…いや昨日はオーバーか。ありありと思い浮かべれるのは…Blu-ray観すぎたのもあるからなぁ…(なんともしまらないなお前もな)。

 

 

ついさっき渋谷Bunkamuraスタジオを観てきた。入る前にぐるりと周りを回ってみて感じたのは、「ヒカルさん、こんな街をパジャマで闊歩していたのか…」という事だった。当時その話を聞いて、別にそれで嫌いになったり軽蔑したりはしなかったけど、「自分のことなんてどうでもいいって思っちゃってるのかな」と心配になったのは間違いない(同時に笑い飛ばしてもいたけれど)。それは恐らく『ULTRA BLUE』(2006)の前後数年間くらいの時期だったかと思うし、そこからの2010年の人間活動宣言だった訳だ。

 

才能と美貌と一財産を手にしたヒカルでもそんななのだから、ついつい自虐が過ぎてしまう自己肯定感の低い人も、まずは何も気にしなくていい筈だ。確かに月9ドラマの主人公には向かないかもしれないけれど、現実を生きる人間なのだから、そういうこともあるさね。まぁ、自虐が過ぎるのは、優しさが過ぎててイジる許可を貰えてるのが自分だけだったり、或いは実は結構自分に期待してるからこその「まだまだ感」が元になってたりと、理由は様々であって、必ずしも自己肯定感が低いとか、だから自己犠牲に対してハードルが低いとか、そうそう言えなくはあるんだけれども。

 

自己肯定感というのは、一朝一夕で身につくものではない。何世代もかかることもある。虐待を受けていた雨ちゃんがたった一代で立ち直れたのだとしたら結構凄い事だし、だからこそのファンタジーであるともいえる。それを実現させている人も沢山在るだろうけれど、やっぱり人それぞれよね。

 

 

 

なんだか読んでてフックのない内容になっちゃったけど、自分自身に対する言い訳なので今回は見逃して欲しい。自分でも読み返さないかもしれない(笑)。それはこの日記を書く主旨に反してるけど、祝日なんだしたまにはいいんじゃないかな。