無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

「文學界」対談企画について徐ろに。

さてそろそろ「文學界」の話をしても大丈夫かな? 随分と字数が多いので読み終わるまで時間がかかっているかもしれない。と言っても無意識日記半月分くらいだろうかな……多いのか少ないのかわからんなそれ。

いきなり総評を言うと、主役は又吉直樹だったかなという印象。企画の成り立ちとしてまず、又吉直樹が新作を発売するにあたり対談はどうかとなり、彼自身がヒカルを指名したというのがどうやら流れのようだ。

ヒカルもそれを意識したのかしていないのか、自分が喋らなければというよりは又吉の話をうまく引き出す一言を差し挟んでいっていた感。故に読後はまず「又吉の小説読んでみるかなぁ」という呟きが先に来たよ私は。実際、彼の三作品を読んでる人がいちばん対談を楽しめたのではないか。一作も読んでいない私はそこがちょっと悔しかった。

勿論ヒカルの創作に纏わるセリフも満載なので不服とか不満とか不足とかではないのだが、驚くような踏み込み方をしたかというとそこまででもなかったかなと。予想の範囲内というか「うわそんなこと考えてたのちょっとついていけてないかも」みたいに思えた場面は皆無だった。

「ちょっと焦ってみたかった」というのは贅沢な愚痴である。普通に読んで普通に共感してそれに何の文句もないのだか、一歩いや半歩下がって又吉を立てる姿は、どちらかというと保護者じゃないけれど優しく見守ってくれているイメージが少しあった。

実際、又吉直樹という男は旬なのだろう。「自虐と認識されているものが、なんでもかんでも自虐っていう言葉で雑に括られて禁止されたら、かなり精神的にしんどい人が増えてしまうと思うんですよね。」という一文は、まさに今というタイミングで世間や時代に必要とされているもので、あたしが作詞家ならこの一言を先に言われた事を悔しがっていただろうと思う。ヒカルにそんな様子はなさそうだったのでその見立ては的外れなのかもしれないが、彼の作品を未読の自分としては、ここでの慧眼がたった今彼が大きく受け容れられている理由に思えたのだ。あたしがこの対談の見出しに使うとしたらここだろうな。

又吉直樹が軸になっている、という前提に立って今一度「文學界」を読み直しながら「今の宇多田ヒカル」の位置取りみたいなものを詳らかにしていきたいのだが、又吉の著作を読んでからの方がいいのかちょっと悩んでいる最中なのでありますのよ。まぁ次回以降続くかどうかは考えながら行きますよっと。