ポール・ディアノが亡くなったのか。今まで何千枚何万曲と音楽を聴いて来て、これからも何千枚何万曲と聴いていくのだろうけど、その中で最も重要な一枚である事は未来永劫変わらないであろうIRON MAIDENのデビューアルバムで歌っていた人だ。来年はバンド結成50年で彼もまた表舞台に帰って来れるタイミングだったのだがな。クライブ・バーがスティーヴ・ハリスの誕生日に亡くなったのも悲しかったけど、こうやって名盤に携わった人が日々居なくなっていくのだな。
と、しんみり書いてて思ったのは、「生まれた時からサブスクで音楽聴いてる人って、もしかしてアルバムを一枚二枚…と数える理由がわからなかったりするかもしれないなぁ」という結構どうでもいいことだった。人の葬式の途中で「お坊さんのサ行の発音が」とかホントにくだらないことばかり頭から離れなくて困ったりするけど、私はそういう類の人類だ。
実際、“プレイリスト”は一枚二枚…と数えないわけだけど、サブスクから入った人からしたら「アルバムとプレイリストって何が違うの?」ってなりかねない。あぁ曲毎にアイコンが違うんだねと気がついたらまぁそこで疑問は無くなっていくのだけど、今回@Hikki_Staff公式から初めてツアーのセットリストが配信されて、「たまに俺混乱しとるな」という事が結構あった。
というのも。『SCIENCE FICTION』がリリースされて、一応オールタイムベスト名義という事だがリレコーディング/リミックス/リマスター音源てんこもりだったのでじゃあと聴き比べの為に従来のバージョンを並べたプレイリストを作って聴いてみたりする。基本、『SCIENCE FICTION』とほぼ同じ“2枚組アルバム”が出来上がる。そりゃそうだ曲自体は同じものがリストされてるのだから。続いては元のアルバムとそのプレイリストを一曲ずつ交互に聴く新しいプレイリストを作って聴く。ふぁぁ、やっぱりリミックスが随分変わってるんだなと実感する。そうこうしてるうちにツアーが終わる。やっとセトリのプレイリストが聴けるぞと聴いてみる。ふむ、アルバムの『SCIENCE FICTION』と全然違うな、こりゃB面というか、アナザー『SCIENCE FICTION』だなとなる。そして自分の作ったそれまでのプレイリストやら元々の『SCIENCE FICTION 』アルバムと並べて聴いてみたりする。
こうなってくると、ツアーのセットリストという意識より、アルバムに対するカウンターとして用意されたプレイリストとしての意識の方が強くなってきてね。まぁそりゃそうか歓声も拍手も音程のブレも何もないからライブ感ないもんね。で結局、アルバムとプレイリストって大体同格というか、シームレスに繋がってるというか、元がベストアルバムってこともあってそんな風な感覚に今なっててな。ベスト盤と過去曲とセトリ曲が並列にね。
自分はまだあんまりしたことないんだけど、今後ヒカルが一曲々々新曲を発表していくとして、その都度それらをまとめて聴けるプレイリストを作っていけばそれは次のオリジナルアルバムにどんどん近づいていくわよね。それは勿論カセットテープの頃からシングル盤EPを続けて録音してやっていたことではあるのだけど、こうやってアルバムとプレイリストを並べて絡ませて聴いてきてるとホントに境界線があやふやになってきそうで。
今回初めて公式がライブのセットリストをプレイリストとして公開して。過去にも22周年企画などプレイリストを前面に押し出してきた事は何度かあったけど、これが更に進んでいくとアルバムって単位が更にますますあやふやになりそうでねぇ。しかも宇多田ヒカルってアーティストがあまりアルバムに拘りがなかったというか、本人は曲を揃える所までが自分の仕事で曲順に関しては三宅さん任せで。ツアーのセットリストも三宅さん任せで。でそのセトリはプレイリストとして公開されてて。いやこれ送り手側もアルバム意識をあやふやにする空気感を助長してるなと。
いつまでCDという形態が続くかわからない。下げ止まりというかスーべニールとしての需要は細々と続いていくかもしれないけど、こちらとしてはより気になるのは物理的な形態の変遷に伴う受け手側の「作品に対する意識」の変化の方でな。ヒカルがあまりこだわってない以上、そんなに気にすることでもないのですかね? どうなんでしょね?