無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

いつか点と線が繋がる日は来るのかな


漫画家の森川ジョージが炎上しとるな。


https://togetter.com/li/2453538


あたしの印象ではこの方はちょっとビッグネーム過ぎて執筆契約交渉時の非対称性に鈍感過ぎるかなとは思った。


日本列島においては放送局・新聞社・出版社は「権力」だ。下手をすれば行政機関や国会議員を擁する野党よりも実質的な影響力は上である。個々の会社員にはその自覚がないだろうけども、法人格としては少なくとも所謂“個人事業主”が対等に交渉できるような相手ではなく、「嫌なら断ればいい」などという助言が意味を為す状況は殆どないだろう。依頼を断れば業界から放逐されるから断れない、というのが実態なのではないか。実際に現場をみたわけではないけれど、どうもそう解釈するのが自然な話ばかり耳に入るわね。


「優越的地位の濫用」という言い回し、比較的最近よく使われるようになったので、今50代以上の人には馴染みの無い概念、ということはあるかもね。そこを知らないで「対等の関係だったから同意があった」と言ってしまえるのは、そうね、今のご時世なら問題になるやつだけど、平成の大部分と昭和の頃は寧ろそっちが常識だったまである。それはさておき。



デビュー時は東芝EMIという“権力側”なメジャーレーベルの力を借りて特大ヒットを連発した宇多田ヒカルも、インディーズからコンテンツをリリースをしたことがある。あぁ勿論U3やCubic Uもなんだけど、宇多田ヒカルとしてメジャーデビューしてから、しかも音源のリリースではなく書籍の出版の話だ。2009年の『点』と『線』だね。


その時ヒカルは通常の大手出版社の流通網を使うことをよしとせず、独自に取次を決めて販売をした為、所謂“街の本屋さん”には『点』と『線』はあまり並ばなかった。その代わり、CDやDVDなどを扱うレコード業界の販路を主に利用したので、CDショップの書籍コーナーには比較的容易に発見する事ができた。書籍なんだから本屋に行けばあるだろうと思っていた人は面食らったはずだ。


未だになぜそうしたのかの理由は公表されていない…のだったかな。或いは当時のインタビューで答えていたかもしれないが、何しろUTADA のセカンド・アルバム『This Is The One』のリリースと全く同時期だった為、私も記憶が曖昧だな。ともあれ、当時日本国内でも『Prisoner Of Love』が290万ユニットの売上を記録するなどヒットメーカーぶり健在をみせつけていた時期なだけに、恐らく大手出版社に話を持ち掛けてもすんなり話は通っただろうから、ヒカル(と当時のEMIの皆さん)がその手を取らなかったのは、何か理由があったに違いなく。日本全国で沢山売りたければ大手出版社を通すしかなかったからね。


まぁ勝手な想像だけど、その出版業界の「優越的地位の濫用」がそぐわなかったおそれはあるかなぁ。あの天下のNHKに対しても交渉力を持つヒカル。『ぼくはくま』のとき『ゼンセ』でもOKが出なければ「みんなのうた」は降りるつもりだったと言ってたからね。数々の歌番組を持つNHKに対してこう言えるプロ歌手はそう多くはない。もしかしたら、出版社とも似たような事態があったのかもしれないなと妄想したりも。


…という(真偽の不明な)危なっかしい話は忘れよう。今後ヒカルが何らかの出版物をリリースする際にどこの取次を使うか、どんな販売網を利用するかがまた新しい答えになる。というか、今後も、ライブフォトブックとかは、あクマで音源関連の付録としてしか登場しないかもしれないね。写真集出たら買うんだけどなぁ! それ以上に、ヒカルが小説を執筆して出版する時にどうするか、それはかなり注目かもしれませんね。とはいえいつの話になるやらですが。