無意識日記々

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ロイヤル=loyal=忠実な

梶さんの対談で「サブスクが成長する余地がある国はもう日本とドイツだけ」という話があった。https://media.fanicon.net/n/ne2de47d9d9de

この二国は昔から人口が多く且つ敗戦国ということもあって(?)大票田、すなわち音楽消費地としてずっと市場から注目されてきた。輸出できるアーティストは少ないのに音楽ユーザーは多い、という純(?)輸入国だったのだ。その国がこうやってサブスクリプションではやや出遅れてるのは興味深い。

シンプルにロイヤルティの差ということか。音楽ジャンルの違いもあるが、サブスクはフットワークが軽過ぎる。ひとつのジャンル、一個のアーティストに拘る・忠誠を誓うタイプのファンの割合が多いとサブスクはそもそも必要がない。広く浅く聴くファンが居ないと受給バランスがとれない。

…筈なんだが、梶さんがいうにはロイヤルなファンを如何に掴むかという話になっている。逆だ。『Face My Fears』がビルボードにランクイしたのもロイヤルなファンが繰り返し聴いてくれていたからだと。ふむ。

特に矛盾している訳ではないが、市場に合わせた対策が必要なのは間違いない。サブスクの成長する余地がある時に、よりハイブリッドなアプローチが要るということだろう。再生回数がもっとリスナーにアピールできるのなら少し状況も変わるだろうがそれは一朝一夕には難しいかな。

宇多田ヒカルは両方居るのが強みだ。ヒカルしか聴かない、というロイヤルなファンと宇多田ヒカルも聴くというライトなファンがそれぞれ一定数居る。付き合い方のスペクトルが広い特性をサブスクの特性とどう擦り合わせていくか。次のEPIC/RIAのアプローチで見えてくるに違いない。この対談の内容を頭に入れておいた上で次のプロモーション手法を解釈していくのがいいだろう。

どんなそんな気分?

Netflixの英訳字幕、勿論『あなた』以外の曲にもトピックが満載だ。

『道』のサビの最後の決め台詞は『そんな気分』と『これは事実』。後者の『これは事実』の方は『That's a fact』とほぼ直訳なのだが(不定冠詞が気になるが今回は触れないでおこう)、前者の『そんな気分』の方は『That's kinda how I feel』である。

これをみてちょっと笑ってしまった。いや、この『That's kinda how I feel』もまぁ直訳に近いは近い。「それが私の感じ方」だからね。自分が笑ったのはつい差し挟まれてしまった『kinda』のせいだ。

"kind"は"kind of"の崩れたカタチで、日本語にすれば「みたいな」みたいな意味だ。ちょっと無理があるが当て嵌めてみると「それが私の感じ方、みたいな」と少し言葉のあたりを和らげる効果がある。

笑ったのは、これがヒカルの若い頃の口癖だったからだ。最近は機会が少ないからよくわからないけれど、昔Utadaが海外で活動していた頃(つまり21歳とか26歳とか)、ラジオのインタビューを聞き取って書き起こして翻訳してみてたのだが、まぁこの"kinda"が出てくる出てくる。そうやって少し言葉の角を丸めていく感じを聴いているとやっぱり日本人なんだなぁと。

いや勿論ネイティブにも"kinda"が口癖になっている人は沢山いるだろう。ヒカルが日本人だからよく使うということではない。特にヒカルが使った場合はそういうニュアンスになるんだなぁと少し微笑ましくなったなという話だ。なんでもかんでも同意を求めて話を前に進めたがる人は"You know"を多用するが、ヒカルはそういうやり方じゃなくて「っていう感じ、みたいな」と細かいニュアンスを調整したがってた印象が強い。勿論私の先入観なんだが、それに即して訳した方が日本語のヒカルの口調に近づいていったから当たらずとも遠からずといったところではなかったか。

なので『そんな気分』を『That's kinda how I feel』と訳したのは、少しヒカルの、Utada Hikaruの喋り言葉の色を出したかな?と感じた次第。まぁそれなら、ファンとしては嬉しくなるよね、You know.

なおこの『そんな気分』、google翻訳にかけてみたら"Like that."と返しやがった。「そのように」か。なかなかやりおるな。悪くなかったぜ。

ペルソナの当て合い

全3回の梶さんの対談/インタビュー企画、なかなかに面白かったな。https://media.fanicon.net/n/ne2de47d9d9de

レコード会社側がどれくらいサブスクリプション・サービスの消費概要を把握してるかを窺い知れて興味深かった。勿論全部喋っているわけではないのだろうが、こちらに開示して構わない分だけでもこれなのだから推して知るべしだ。

内容にもある通り、ストリーミングサービスは英米では踊り場に来ている。携帯電話の普及率と似たようなもので、つまり大体行き渡ったってこと、かな。日本はまだそこまで行っていない。もちっとばかし耕せるだろう。

第3回では、ヒカル空白の5年間に10代で宇多田ヒカルを聴くようになるのはどんなペルソナの人かという話題が出ていた。要は意識高い系だそうだが、実をいうと自分の視界にはそういう人は目に入ってきていない。単純にTwitterのフォロワーさんを見るだけだと、今までと全然変わらない、ただ年齢が若いだけの人に見えている。

まぁそんなのは個々人の偏りであって、全カスタマーのスペクトルを把握できる梶さんの言うことの方が確度は遥かに高いのだが、単純に理屈として、宇多田ヒカルって意識高い系の食指に引っ掛かるのかなというのはちょっとある。

こういうのは世代がモノを言う。自分なんかは、例えばメタルファンとしてKORNが出てきた時におこちゃま向けのかみ砕いたバンドが出てきたなと思った(自分にとってのHELLOWEENと同じようにね)のだが、デビューから四半世紀経った今は本格派ヘヴィ・ロックの大御所なんだそうな。ふへ~。そんなもんなんだねと。長くやってりゃそうなる。

宇多田ヒカルの場合その点希有で、デビューした途端に本格派の大御所だった。サザンがデビュー当時ふざけたコミックバンドといわれていたのに今やシーンの重鎮になったのとは対照的だ。確かに、ヒカルをバカにする世代はいない。知ってるか知らないかだけだろう。空白の5年間で露出が少なければ少なくとも単に知らないからファンになりようがない、及び昔に遡る熱心な人はすぐに辿り着く、というのは想像がつく。

でもその「お前たち凡人と俺は私は違うんだ」というタイプにヒカルが響くかというとそこがちょっと疑問でね。そういう、どの世代にも定評があると、評価が力まない気がするのよね。余計な熱が無いというか。そういう余剰のないところに意識高い系や厨二病患者は引っ掛からないんじゃないかと。まぁ憶測ですわ。真実はどうなのか。そろそろ空白の5年間のファンたちが社会に出始めてくるだろうから聞いてみたいもんだわね。

『will still tremble』

他にも、英訳を見てイメージがより明確になった例がある。同じく『あなた』の歌詞のこの部分。

『あなたの生きる時代が

 迷いと煩悩に満ちていても

 晴れ渡る夜空の光が震えるほど

 眩しいのはあなた』

ここをヒカルはこう英訳している。

『Should the world of your generation

 Be filled with doubt and avarice

 The stars of the clear evening sky will still tremble

 At the radiance of you』

今まで、どうもこの一節のイメージがあやふやだったのだが、この英訳を読んで、完全にではないものの大分具体的にイメージが掴めてきた。自分にとってのポイントは『will still tremble』である。

取り敢えずまず、ヒカルの英訳をGoogle翻訳してみよう。逆翻訳ってやつだね。こうだった。

『あなたの世代の世界は

 疑念と貪欲に満ちている

 晴れた夜空の星はまだ震える

 あなたの輝きで』

ちと簡略化されているので補足すると、『should ~ be ~ will still』なので、「須くそうなるだろうとはいえ、それでもなお」ってことだ。あなたの時代は悲惨かもしれんがそれでもなおあなたは星を蹴散らすほど目映い輝きを放つだろう、と。

『震える』が『tremble』だとは気づいていなかった。いや勿論、英語にしようとも思わなかったので気づかないのも当たり前なのだが、どちらかといえばぼんやりと「あなたの輝きが目映いから星の光もそれに呼応して瞬いてる、みたいな感じかなぁ」くらいに思っていたのだ。

しかし、『tremble』となると、どちらかというと恐怖に戦いてガクガク震えるイメージになる。メタルの歌詞では結構な必修単語だ。そのイメージからすれば寧ろ、あなたの輝きは星の光すら圧倒するほど目映いという意味になる。最初っから歌詞の意味をそうとっていた人からすれば「何を今頃になって当たり前の事を言ってるんだ?」としか思えないだろうが、私個人にとってはこれは今回、小さいけれとも新たな発見だった。

やはりヒカルの英訳を追うのは面白い。来週は他の曲でもやってみると致しますかな。

『Let us accept』

英語訳を見て初めて気づくこともある。例えばこの『あなた』の歌詞。

『終わりのない苦しみを甘受し

 Darling 旅を続けよう』

これが英語訳ではこうなっている。

『Let us accept this never-ending suffering,

 And darling, carry on with our journey』

あぁ、『Let us』なんだと思った。そこに至るまで『あなたの行く末を案じてやまない』等と歌っているものだからついついここも「親が子を思う気持ち」で「生きていく為の

Never-ending suffering/終わりのない苦しみ」を親の方が被る覚悟なのかと思いきや"us"。つまり、二人で苦しみを甘受しようと。この段落で主体が親子からカップルに切り替わってるんだね。そりゃそうか、次が『Darling』なんだものね。

『Let us』がもっと一般的なただの呼び掛けという読み方もできなくはないが、いずれにせよこの一節は幼子に成り代わってこの世の苦しみを負おうというのではなく、共に分かち合おうという意図で書かれたものなのだということが英語訳でよりハッキリした訳だ。

このような小さな気づきがNetflixの英語字幕には幾つも埋もれている。他の箇所についても、折りを見て触れていく事にしよう。