無意識日記々

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「宇宙一イイ女」談義。

日本時間明日、米国ベースボールメジャーリーグのMVPが発表される。アメリカン・リーグヤンキーズのアーロン・ジャッジが受賞する見込みだ。

MVPはベースボールの記者たちが「最も価値のあるプレイヤー」を投票で選ぶ賞なのでそこは好きに選んで貰えばいいのだが、難易度や稀少性という点では今年のエンジェルスの大谷翔平に優る者は居ない。今年のジャッジ程度では較べるべくもない。でもこの大谷翔平の「投打両面でリーグTOP5の成績を残す」という活躍の仕方がアメリカ人には価値がわからないようで。

ジャッジは本塁打アメリカン・リーグ記録を更新したが、ナショナル・リーグ記録はもっと上だ。つまり、メジャーリーグ記録ではない。「それはステロイド容認時代の偽の記録だ」と無視する人が多いようだが、では過去の誰にステロイドを投与したら今年の大谷翔平の記録を出せるかというと、誰も居ないのだよ。15勝34本投打既定到達を162試合で成し遂げる可能性を持った選手など、過去に誰も居なかったのだ。たとえどれだけドーピングしようとも。(勿論大谷翔平は健全だ)

結局、ジャッジの凄さは、比較できる相手が過去にそれなりに居て、本塁打という一番人気の項目でリーグ記録を更新したという、わかりやすさによって評価されているのだ。

一方大谷翔平の凄さは一意的にはわかりにくい。投打両方でベスト5ではあるが1位ではないからだ(サイヤング賞も4位だった)。複数の(本来有り得ない組み合わせの)項目で優れていることの凄さって、なかなかに伝わりにくい。

…と、宇多田ヒカルも似たようなとこがあるなぁ、ということを書きたくて枕に時事ネタを持ってきましたよ。

私はヒカルさんを「宇宙一イイ女」と信じて疑わない。でなければこんなにこの日記続けてないわよね。でもしかし、ヒカルさんは史上最も歌の上手い歌手でもなければ最も質量共に秀でた作曲家でもなく、史上最高の美女かというとそんなこともないだろう。頭脳とか性格の良さはひょっとするかなとは思うけど確信は無いな。だが、総合的な一人の人間としてみた場合にはヒカルが「宇宙一イイ女」でしか有り得ない。

大谷翔平もそうで、既に彼は単年のみの活躍でみた場合昨年と今年は史上最高のベースボール・プレイヤーなのだが、本塁打王争いをした昨年は兎も角今年はMVPすら取れそうにない。何のタイトルも獲得しないのだ(奪三振率はリーグトップだがこれは正式なタイトルではない)。ヒカルさんとよく似た感じだなと微笑ましくなってるんですよ今の私。

あと、余りにも人間離れし過ぎると凄さがわからないというのもあるね。『First Love』アルバムの頃って、歌詞にしろメロディにしろ、「他の人と較べてここらへんが優れている」っていうのがわかりやすかった。特に作詞は意図と発想が明確で、これこれこうしたからこうなったという論理構造が見えやすく、故に凄味が伝わりやすかったが、以後の成長は年々凄くなり過ぎて遠くのファンにはよくわからなくなってる感じが強い。今やその凄さが「今書いてる歌詞にぴったり合う人が向こうから話し掛けてきた」とかなのである。何言ってんだお前?てなもんだ。最早人と比較とかいうのは無理強いにも程がある領域に宇多田ヒカルさんはいらっしゃるのだ。

今の大谷翔平もとんでもなさすぎてベースボールファンの皆さんもピンと来てない感じが強い。多分何十年かしたら評価される…のかなぁ? まぁ向こう3年の間に本塁打王とサイヤング賞両方獲ればいいのだが、そこまで果たして怪我無く居られるか、だわね彼の場合は。

それはそれとして、そう、↑でつい昔からの癖で「宇宙一イイ女」と書いてしまったが、ノンバイナリ宣言をした後の人を安直に「女」と書いてしまっていいものかが悩ましい。いや勿論先日も書いたようにヒカルは『she/they』なので女性として話し掛けても構わないのだろうけど、やはりこういう時は性別に関係ない書き方がより望ましいと思うのだ。

でもなぁ。「宇宙一イイ女」や「宇宙一イイ男」って言い方から性別を消した言い方にしようとすると「宇宙一イイ人」になっちゃうのよね。意味が変わってしまうのさ! 女を男に変えても性別対象が変わるだけで文意は同じなのにそこを「人」にしたら「性格がいい人」とか「都合のいい人」に意味が偏ってしまう! 日本語って難しい! だから今回は「宇宙一イイ女」という言い方で許して欲しい。なんかイイ言い方思い付いた人が居たら教えて欲しいよ。「宇宙一イイ女」や「宇宙一イイ男」って、「宇宙一優れた人」とか「宇宙一価値のある人」とかでは、無いんだよな~。なかなかにこれは難題なのでした。ちゃんちゃん。

桜流しから時が流れること十年。

桜流し』10周年。あれから10年経ったのかという感慨と共に、10年でもうここまで来たのか!という宇多田ヒカルのアーティストとしての成長ぶりに驚きを禁じ得ない…

…と書くのはこれ妥当と言えるのか、というのがちぃと気になっていてね。先日1999年『First Love』の頃のフォトセッションと2022年『BADモード』のアルバムジャケットとで年齢差がサッパリわからないツイートがバズっていた事からもわかるとおり老いとは無縁なヒカルさんも、来年40歳でな。

勿論まだまだ先は長いが、若い頃は時間経過が成長だったのに老いた身にとっての時間経過は老化と衰退なのだ。そんな時期に差し掛かってくる時に「アーティストとしての成長」と無邪気に言ってしまってよいものか。

ややこしいことに、「作品」即ち「アート」の出来は成長の一途だということ。『BADモード』アルバムへのリアクションは過去最高レベルで、明らかに宇多田ヒカルが新次元に突入した事を感じさせるが、それはヒカルの“実感”にそぐうのかというと、そこがわからない。それは自らの成長に即した何かだと認識され得ているのだろうか?

例えば『気分じゃないの(Not In The Mood)』はアートのセンスとしては最も先進的で、今までの宇多田ヒカルの実積からしても、人類全体からしても明らかな新境地に足を踏み入れているが、当人の実感としては「〆切で追い詰められて苦し紛れに歌詞を書いたら奇跡が起こった」というのが本当のところではないだろうか。それを私は率先して「ヒカルさんが新しいクリエイティビティを開拓した」と今まで絶賛してきた訳なのだが、当のヒカルさんからすれば、自らの強固な意志で新進性を開拓したなんて実感は全然無いんじゃないかとな。

作品だけをみれば明らかに成長・進化している。しかしそれは「成長しなきゃ」と自分自身に発破を掛けたのとはちょっと違う。〆切に間に合わせなきゃという義務感と使命感が先に来ていたのだ。作品の出来と成長の実感に距離がある。

これがこの先どうなるか。この作品の出来と創作者の実感の乖離がもっと甚だしくなっていくのか、それとも結果をみて「なるほど私も成長してるんだな」と自らに取り込んでいくのか。ちょっとまだわからない。正直、これからのヒカルは自らのクリエイティビティを「制御しきれない」領域に飛び込んでいくのではないかという見立てもしたくなっている。私はね。

今思えば、10年前の『桜流し』の時点でその萌芽はあったのだ。作品の血肉に溶け込んだ他者からのアウトプット(ポール・カーターとの共作)に、未来を予言するような歌詞。まだ藤圭子さんはご存命の頃だし、ダヌくんは生まれていないからね。その激情の爆発力は、人魚で復活するまでの一旦の宇多田ヒカルの創造性の終着点であった。今から思うとね。子が生まれるまで音楽家としての復活は夢物語だったのよ。

そう、この後の流れを予言してるような歌詞なのよね『桜流し』って。『もう二度と会えないんて信じられない』はお母様のこと、『健やかな産声が聞こえたなら きっと喜ぶでしょう 私たちの続きの足音』はダヌくんのことに“なっていく”んだよね。

そして10年。その『気分じゃないの(Not In The Mood)』と『BADモード』では産声と足音が歌声と弦の音に置き変わっている。我が子の成長と、母としてのこれから。いやはや、誰しもが通ってきた筈の道を歩きながら誰も知らない海へと辿り着いていきそうだな宇多田ヒカルの人生は。目が離せないなんてもんじゃないですよ、えぇ。

Naturalな感覚で歌っちゃいました

今年のNHK紅白歌合戦の出場歌手が発表になった。ヒカルの出場は今のところナシと。今年はNHKの番組にも出たしなくはないかな?とも思わせていたのでこれは…まぁどっちでもいいか。どうせこの時期はお腹壊してたりするし。あと、今年からは《『気分じゃないの(Not In The Mood)』が出来た時期》として12月28日付近は奉られることになったので(いつからだよ)、そこら辺前後1週間くらいはヒカルは周囲からアンタッチャブルでよろしかろうて。親子水入らずの年越しとかも今のうちかもしれないしね。

今年の紅白の出場歌手を五十音順で眺めるとヒカルの直前にあたる場所に「ウタ」の名があるわね。「漫画・アニメのキャラが紅白歌手として出場するのは史上初」ということで、いやこりゃAdoちゃん頑張って欲しいわ。めでたいね。

そして、氷川きよしが「紅組、白組の枠を超え特別企画として出場」するんだそうな。宇多田ファンとしてはここがいちばん注目かな。最近の氷川きよしはきよし姐さんと呼びたくなるほどフェミニンな装いでアー写発表しまくってるので紅白の枠から飛び出すのは大変結構なのだが、これはノンバイナリ宣言したヒカルさんも今後適用される特別枠になるのか、はたまた紅白という枠組自体が変わっていくキッカケとなるのか、注目しておいてもいいかもしれない。もっとも、今のヒカルさんの呼称代名詞は『she/they』なので、紅組枠でのオファーがあってもそれはそれでOKだとは思うけどね。

…と、そんな中私は篠原涼子が28年振りに出場すると知って「ふふっ」となっているところ。28年前といえば彼女は小室哲哉との連名で名曲「愛しさとせつなさと心強さと」を大ヒットさせて同曲で紅白出場を果たしている。今年は同曲のリメイクバージョンである「愛しさとせつなさと心強さと 2023」をリリースしたことで白羽の矢が立ったのだろう。当時の小室哲哉の飛ぶ鳥を落とす勢いがよく感じられる当時の時代性をよく反映した1曲だ。

で、なんで「ふふっ」ってなってたかというと、ヒカルさんがこの「愛しさとせつなさと心強さと」を好きなんじゃないか疑惑があるならなんですよ。いや好きでも別にいいんだけど、10代の頃は殆どJ-pop聴いてなかったとか言ってたのにこの曲はチェックしてたのかと思うとね。つい「ふふっ」っとなってね。

で、なんでそんな疑惑があるのかというと、ヒカルさん、『First Love -15th Anniversary Deluxe Edition』収録の『Another Chance - Demo Version』でこんな風に歌ってるからなんですよ↓

…っとと、いやその前に、まずは『Another Chance』のオリジナルの歌詞を見といた方がいいな。こちら↓

『こころ重ねると浮かび上がる

 いろ模様

 こんなにNatutalな感覚が

 間違ってるわけないのに

 記憶のすき間からのぞくと消える

 あの模様

 どんなに遠くはなれても

 あきらめられるはずない』

いやぁ、素晴らしい歌詞、素晴らしいメロディですね。天才だわやっぱ。で、ここにあたる部分をデモ・バージョンではこう歌っているのです↓

『こころ重ねると浮かび上がる

 LaLa 模様

 こんなに自然な感覚が

 間違ってるわけないのに

 記憶のすき間からのぞくと消える

 あの模様

 いとしさ と切なさ ahaaahh

 amma mmm lalala わけない』

そう、このデモを録音した時点ではまだ『どんなに遠くはなれても』の部分のメロディは決まっていても歌詞は出来てなかったようで。咄嗟にテキトーな日本語を当て嵌めて歌っちゃえと口をついて出てきてしまったのが「いとしさとせつなさ」というフレーズだったようなのです。この時のヒカルさん、「やべ、このまま“心強さと”まで歌っちゃマズい!」と思ってハミングで誤魔化しております私の推理では。ここの部分は間違いなく一聴の価値アリですので、デラックス・エディションを持っている方は今一度聴き直してみては如何でしょうか。ハミングであやふやにするヒカルさんが大変かわいい&カッコいい、ですので! 咄嗟のハミングもサマになってるから困るんだコレが!!

行き先不明のフルラッピング暴走トレイン(懐)

ほぉ、今日から山手線で「First Love 初恋」のフルラッピングトレインが走るとな。あのド派手で目立つ奴か。

菊田くんは「目撃情報皆さん教えてください」と書いてるから、宇多田サイドはあんまりタッチしていないのかな。だとすれば安堵! 何故って、あれ親しみのあるコンテンツだと共感性羞恥が甚だしいんだわ。いやもう観てるだけで恥ずかしい。嫌というのとは違うんだけどね。なんでだろうね、駅やビルボードの看板だと誇らしいのに、電車だと妙に気恥ずかしいのよね。

多分、「風景・背景じゃないから」なんだろうかな。アニメでいえば美術さんの仕事じゃなくて原画動画サイドというか。動く方でこれみよがしに押し出してこられると、なんかそいつにセリフがありそうで。宣伝が動く主体になると押しつけがましい。最近ウェブ見てても上下左右から飛び出してきて宣伝してくるヤツあるじゃないですか。あれ私には軒並み評判が宜しくないのだけど、動いてこっちにくる宣伝に対する私のイメージの問題なのかもしれんな。

だってさ、仮にヒカルさんのでっかい顔写真が貼り付けられた車体がホームにツッコんできてみ? 「キャーッ!」ってなるよ? 嬉しいけどそれ以上に恥ずかしいよ? まぁ今回はきっと佐藤健満島ひかりなんだろうが、二人のファンの方は私から見ればご愁傷様ということで。

いや待て、来月にはそのフルラッピングトレインが即座に15歳の宇多田ヒカルに切り替わるとかないだろうな!? ビルボードの巨大顔面はそれなりに慣れてるけど宇多田電車となったら緊張するわ。上記の理由で。止めて欲しいような是非やって欲しいような不思議な気分ですわ。

という感じなのでひとまず今回の「First Love 初恋」列車、あたしゃどなたかのレポートを待ちたいと思います。でも運行ダイヤとか公開されるんだろうか? 自分がやらないのにエラソーだけど、くれぐれもマナーを守った撮影を心掛けて下さいな。

本予告なら本音源?

ネトフリドラマ「First Love 初恋」の新しい映像がリリースされた。今回は「本予告公開」なんだそうな。ティーザーとかトレーラーとかなんか色んな呼び方があってよくわからんな。新しい写真は「キーアート」らしい。ヒカルさんの発声練習がアートに値するってこと? それなら同意だキー!キー!キー!

で。本予告ってことは今回の映像から、フィーチャーされてる音源は新しいってことでいいのかな? つまり、 

『初恋(2022 Remastering)』

『First Love(2022 Mix)』

の2つのトラックが使用されているのかな、と。聴いてみたけど、YouTubeな為確信は持てないが、より空間の拡がりと各音の定位の明確さに拘った音になっているような。先入観による気のせいかもしれない。あと今私の耳が不調なので若干勘だ。まぁ好調の時でも推論で当ててるんだけどね色々とね。耳は元々いい方ではないのです。

『First Love』に関しては15周年記念盤の時にハイレゾ音源が発売されていたが、その時も、ハイレゾ以外の新しい音源、つまりSHM-CD向けの“(2014 Remastering)”のトラックや“Mastered for iTunes”のトラックでもハイレゾリマスタリングに近い方向性のサウンド作りが為されていた。要するに、複数の音源について「その時に共通な傾向」があったのだ。

今回の売りの一つに空間オーディオがある。ドルビーアトモス配信ってやつだね。これに、配信の他の音源やアナログ収録のトラックもサウンドの方向性が“つられて”いる可能性がある。空間の感覚を強く押し出したマスタリングの傾向があるのかもしれない。

そうなってくると、俄に

『First Love (A Cappella Mix)』

『初恋 (A Cappella Mix)』

の2つの音源のサウンドの方向性も気になってくる。空間オーディオに倣って、バックコーラスが明確な定位で録音され、「何人もの宇多田ヒカルに囲まれているような」サウンドになっているのか? はたまた、特に『初恋』の方で、ぶ厚いバックコーラスをそのままダイレクトに収録して渾然一体となった和声の奔流を演出してくれるのか? いずれにせよ、スケールの大きなサウンドになっているのは間違いないだろう。

あぁ、いやそうか、アカペラなんだから、極力バックコーラスや多重録音を排したシンプルなヴォーカル・トラックにしてきているという可能性もあるのだな。そうすれば、今度はドルビーアトモスとの「明確な対比」が描けてより効果的、それぞれの特徴が際立つってなもんですよ。さぁ、どっちだろうかな。それとも、想像も出来ないようなアプローチがあるのかな?

アナログ盤をスペシャルなものにする為に「ここでしか聴けない」音源を入れるのはわかるのだけれど、でもやっぱり勿体ないよねぇ沢山の人に聴いて貰いたい。サブスク聴き放題のお陰で、「聴いて貰ってなんぼ」の感覚がより強くなってるわ私。一方で「アナログ盤のみ収録」に優越感を感じる人も在るだろう。高いお金を払うんだもんね。それ相応の対価を求めてしかるべきよな。どっちの気持ちも、わかるなぁ。ラジオオンエアとかあるのかな? 今はradikoがあるからひとつ放送されたら捕獲できてしまうわね。いずれにせよ、リリースまであと3週間余り。ドラマはもう1週間余りか。楽しみですねぇ。