無意識日記々

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Globalization 2

光の英語はネイティヴであるが故に、英語で歌う事はDomesticな行為となる。寧ろ、光がInternational,Globalな感覚を持ったとすれば世界中の様々な国からMailが来る事ではなかっただろうか。それまで何の接点もないと思っていた、いや存在すら知らなかった国からのListen-to-Utada-Callは流石に光も面食らった筈である。まぁどこの国に居て何語を話していようがそれ自体で光の態度が変わる事はないだろうが、開いていないチャンネルを開けてくれる事には感謝していると思う。

で。注目したいのは彼らの多くがインターネット経由で宇多田ヒカルの楽曲を愛してくれているという事実だ。露骨な言い方をすれば、プロモーション費用をかけて日米英欧亜と世界各地で発売されたUtaDAのアルバムよりも、「日本でいちばん凄いヤツ」という事でネット経由で宇多田ヒカルの日本語曲に親しんでいった人の方が多そうだ、という事だ。

一方、勿論見逃してはならないのがKINGDOM HEARTSだ。光とPassionのみならず、Simple And CleanとSanctuaryで英語を披露していること、こちらはとても大きいと思う。いずれも、ゲームの認知度に日本語歌手宇多田ヒカル知名度が掛け算されて、その上(比較的)耳馴染みのいい英語で歌われる曲だからだ。現時点で地球規模にウタダの名を轟かせているいちばんの原因は、やはりこの2曲にあるだろう。

そしてしかし、でも結局いちばんの必殺技はFirst Loveである。日本を含めどの国でもこの曲の人気は図抜けて高い。何故お前らは日本語の歌を唄えるんだとInTheFleshの映像が発売された暁にはみんなでツッコむことにしよう。日本でいつも聞ける"あの悲鳴"(ピアノのイントロが流れてきた時のキャー)は、感触をやや違えつつも日本以外の場所でも聞けるのである。

何だか筆が定まらないが、要するに光は今の所音楽的な面で特別Globalな意識を盛り込んでいる風ではないという事だ。周りが光をGlobalに仕立て上げているのである。当の本人はというと、どこまでも1対1の関係を崩さない。これは、どこまでも行ける(或いは、どこにも行かない)のである。もし宇宙人がやってきても光は歌を唄う事が出来るだろう。彼らが単一の意識を持つ何かである限り。その方法論があるから、光はスケールに依存しないのだ。

でもでもでも。再三再四指摘してきた通り、光は市場が定まらないとプロフェッショナルな音楽を作れない。今まで作ってこなかったというべきか。その点に於いてこの「1対1の多様な集合体」はそれ自体の変化に伴って光の音楽を成長させる生命のようなものなのだ。地球規模、という時の大きさの感覚より、この多様性の抽象的な集合体のイメージが、空間的な広がりではなく、個々の許容量の成長を軸にして光の音楽を進化させていくこのダイナミズム。問題はその時に常に「多対1」となってしまう罠に光がいつも曝されてしまう事なのだが話が複雑に成りすぎてしまうのでまた次回。