無意識日記々

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減点したがる理由

無料絶版漫画サイトJcomiで16年前週間少年ジャンプで連載されていた「密リターンズ」が公開されていた。いやぁ懐かしい。主催者もこの作品は随分とお気に入りの様子で、今読み返すと成る程、自分の作品にオマージュ(或いは同じルーツ)を反映させたりしているんだなぁ。

こちらもいち読者として、16年経ってから同じ作品を読むと感想が随分と違っていて少々吃驚。昔は設定の稚拙さや説明不足、伏線の物足りなさに登場人物の独りよがりな思考回路、ご都合主義などあまりよくない印象をもっていた側面も、いや今読んでもそれはそれで同じ感想なのだが、随分と"作者の意図を斟酌して"読めるようになった。

昔は減点法で読んでいたのが、今は"あぁ、こういうことが云いたいのか、ならばあれとこれを組み合わせてこう持ってきて…でも確かに週刊連載だとそこまで細かく描き込む余裕なんかないよねぇ"なんていう風に作り手側の事情なんかを織り込んで読むようになると、この作品の魅力の核が瞬時に解るようになり、詰まるところ「あれ、このマンガこんなに面白かったっけ?」という感想になった。

減点法で物事をみていると、対象の魅力の存在に気がつかずに、或いは気づいていてもよく触れてみもせずに通り過ぎてしまうことになる。一旦魅力の核に触れてしまうと、それを伝達する表現の至らなさはさほど気にならなくなる。揚げ足をとられる、というのは単純に魅力が伝わっていないのである。

ヒカルのナマ歌もまた、その減点法に照らし合わされて評価されてきた。ミュージシャンの場合、作り込んで重ね込んだスタジオトラックという"満点のお手本"がある為、減点法による比較が容易である為、揚げ足をとる方もやりやすい。何回も歌い直してベストテイクを繋ぎ合わせれるスタジオバージョンみたいに精微な完成度を一発ナマ本番で達成するのは本当に難しい。というか無理がある。

しかし、光はIn The Flesh、Wild Lifeでその無理をかなり実現してしまった。その出来映えはDVDを観た人ならお分かりではないだろうか。モチロン、この盤も2日間のベストテイク集なので純粋なライブではないのだが、実際にナマで観た人に感想を訊けば、現場でもこうだったよと云えるだろうことは想像に難くない。

恐らく今後そういったポジティブな感想が広がってゆくと予想するが、光の歌唱力の成長とともに、受け手側の光の音楽に対する理解度や愛着がじんわりと広がっている、ということもあるのかもしれない。それによって減点法による採点が緩くなるということはなくとも、音楽、楽曲自体への愛着が年月と共に醸造されてきて好意的な評価に繋がってゆくということも、あるかもしれない。宇多田光はますます深く愛されてゆくのだ。

とはいっても、愛情が深くなればなるほど減点法が厳しくなっていってスタジオバージョンを愛する余りライブバージョンの崩し方は憎さ百倍、なんてこともあるから難しいんだけどね。