様々なジャンルで、PCやスマートフォンやタブレット、そしてネットの発展によって"提供媒体自体"を変革する機運と必要性が高まっている。昨年から騒がれている電子書籍などはKindleやiPadの発売とリンクしている。"本を読む"という体験を支える媒体自体が変化しつつある。
音楽はどうか。iPodの登場によって記憶容量が飛躍的に増え、楽しみ方も多様になったがイヤホンを耳にさして再生ボタンを押す、というスタイルはウォークマンの登場以来30年、基本的に変わっていない。
もともと何万年も歴史のある娯楽なのでそうそうドラスティックな変化がある訳ではないのだが、例えば純粋に音楽を提供するだけではない分野、例えばゲームで音楽を扱う場合(音ゲーね)には、WiiやDSのように独自なインターフェースを用いて様々な試みが繰り広げられている。こういうスピリットを伝統的なミュージシャンたちが取り入れていってみてはどうだろう。
いや何も極端な変化をする必要はない。ほんのちょっとしたサービス…例えば、現時点ではCDや配信で曲を買っても歌詞やクレジットは端末上(iPodやウォークマン)で表示されない。歌詞を表示できるケースも、ネットで検索してきて表示させるパターンだと思われる。そうではなく、新しいファイル形式を導入してCDやダウンロードファイル自体に歌詞等の情報を同梱させるのだ。画面に歌詞を表示させて、そのどこかをタップすると瞬時にその箇所から再生が始まる―非常に便利だと思う。iPhoneならアプリレベルでこういう機能を実現している例もあるかもしれないが、ファイル形式レベルから改革し端末とソフトを売れば活性化に繋がる気がする。尤も、かけたコストほどには需要があるとも思えないが…。
ただ、ファンとしては歌詞の重要性をもっと認識して欲しい、というのはある。方々で人力による音楽と歌詞のシンクロを見ていると、やはり日本人にとりわけ目立つ志向のようでもある。レコード会社や出版社、作詞者からしても、歌詞が著作物であるという認識を敷衍する為には歌詞カードとして添付する、というだけでなく上記のような"作品そのものに組み込む"必要があるのではないか。
こういう"新しい試み"(いや私の今の提案は地味だけど、そういうたぐいの、という意味ね)を仕掛けるには、ヒカルはいつも積極的だった。PC配信もケータイ配信も率先して行ってきた。何より、新しい何かを皆に注目させるだけの牽引車としてのネームバリューがあり、失敗を恐れない挑戦者魂がある。人間活動の心配な所は、日進月歩、いや日歩月飛のこの世界において、なんとなく取り残されてしまうことだが、ファン層の気質を考えるとあんまり気にしなくてもいいことなのかな。いい歌をまず作ること、それが大前提だわね。