無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

So burning it inside you

ひたすら「今」を強調する光の世界観は、発達した文明社会になかなかそぐわない。小さい頃は「将来の為」といわれ勉学に励み、成人したらしたで「老後の為」「こどもたちの将来の為」といわれ保険や貯蓄に励む。いざ老人になったらこどもとは離れて暮らし老老介護から自分が介護にまわる側に…なんてのが標準的な日本人像だ、とまでいうと極端だが、確かに、こういう世情を鑑みると光が必要以上に(でもないか)「今」を強調するのもわからなくはない、と思う。

しかし、この思想は刹那的な快楽主義からは最もかけ離れた所にある。光自身からして、幼少の頃は将来など考えずに「今」のスタジオ代の為に車を売り払う親の生き方に疑問を感じ、「将来は絶対に手堅い職に就いてやる」と誓っていた位だ。未来が拓けていたこども時代の事だというのもあるけれど、その頃は"しっかり未来の事も考えられる賢いこども"だったのである。

そういう真面目な時期を経た上での『人はなぜ明日を追いかける?』なのだから、よく言う言い方をするならば"一周まわって"今の態度に辿り着いたのだとみるべきだ。未来への不安や恐怖、過去への不満や悔恨を総て眺めた上で「今」を大切にしよう、という境地なのである。

ならばLIVEコンサートの本数が少なすぎる。音楽の最大の特徴は、"絶対音楽"という単語があることからもわかるとおり(詳しくはWikipedia参照)、"なにものの代えではない"事だ。生演奏が表現するのは、映画のようにフィルムに焼き付いた夢でもなく、舞台の描き割りに描かれた背景のさす時代や国の話でもなく、今、ここで鳴らす音そのものなのだ。そこから先はない。「今」を強調するのに、スポーツなどと並んで最も適した娯楽なのである。だから光はもっとLIVEコンサートをやるべきなのだ。そこまで「今」を歌い続けるのなら。

でも、まだこの話には続きがある。いや大した話じゃないんだけど兎に角それはまた次回に。