無意識日記々

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シャレから出た真面目

土曜日のエントリ【クリスマス・マンデー】はもちろん最初は冗談のつもりで始めたのだが、やっているうちにある事に気がついた。メロディーごとに、単語の当て嵌め易さが全く違い、しかもその傾向がくっきりと色分けされるのである。

いちばんすんなり嵌ったのは歌詞でいえば『私たちの季節はもうすぐ』と『二人きりのクリスマスイヴ』の箇所、ヴァース部分の最後の一節である。ここは、両方とも(曲がりなりにも)英語の構文に則った単語の並びを載せる事が出来た。

逆に、『長い冬は〜旅の支度』及び『白い雪が〜羽根を閉じる』のパートは英単語が載せ難く、結果としてただ日本語の音素を機械的に変換する単語を逐一当て嵌める作業となった。こうやると空耳アワーとしての面白味は薄くなる。

興味深いのはサビメロで、4回繰り返されるサビのうち、特に3回目の『会う度に距離は縮むようで少しずつ心すれ違う』のパートが他と較べて格段に嵌め難かった。それ以外はかなりスムーズに単語が載っていった。

これら諸々の傾向から何が読み取れるのか。光の作詞は英語と日本語2つの可能性が対等に在り、しかも必要とあればメロディーの方を変える事もできる立場にあるからその前提で完成品から作業過程を推測するのは難しい。

その中でいえるとすれば、CWTCのヴァース最初の2行は純粋に日本語詞を載せる為のメロディーになっていて、更に踏み込めば日本語詞が先にあってメロディーは後からつけたのかもしれない、逆に3行目は英語の構文に容易になりえる音素で成り立っている事から、もしかしたら最初は英語詞が載っていたのかもしれない、例えば仮唄の段階では英語で歌われていたのかもしれない、といった所だろうか。

3回目のサビについては、4回あるうちの起承転結の"転"の部分だから、展開部として"クリスマス"以外の単語で始めて聴き手を惹きつける効果を目論む必要があり、従って作詞のアプローチが他の3回とは根こそぎ異なっていた可能性もある訳だ。

結構複雑な話なので、私自身まだまだ整理がついていない。この話題の続きはまた稿を改めて、という事にしておこう。