無意識日記々

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脱線

Keep Tryin'は、Passionで描かれた少年の片思いと情熱の物語、その続編である――と気軽に言い切ってしまえるが、その"しょうねん"や"じょうねつ"ですら、数々の厳しい音韻要請をクリアしてきた存在なのだ。それは前回までにしつこく見てきた通り。となれば当然、『片思い』もまた、そういった試練を潜り抜けてきた語である事は、容易に想像がつく。

『少年は いつまでも
 いつまでも 片思い』

これに対応する(同じメロディーの)パートの歌詞はこうだ。

『お父さん keep tryin', tryin'
 お母さん keep tryin', tryin'』

このうち、少年とお父さん、二番目のいつまでもとお母さんはあからさまな韻を踏んでいない。これもまたわざとである。ヒカルなら、韻を揃えようとすれば幾らでも揃えられた筈。なんでもかんでも韻を踏みまくればいいというのではなく、こういった押し引きこそ印象的な歌詞を構築するのに必要不可欠。一応、"しょうねん"と"おとうさん"はアタマが同じ母音でかつ5文字目が撥音であるという点
は共通しているが、この"ゆるやかな合い具合"は"ゆるやかなハズし具合"でもあるのだ。聴き手には1度目のメロディーの"しょうねん"が残像としてあるから、この"ゆるやかに韻が合っている"『おとうさん』に対しては、さほど抵抗なく受け入れられる。耳にする音の感触としては。しかし、歌詞の意味を考えると、無関係とはいえないまでもかなりの"ぶっこみ具合"である。

そして、次の"お母さん"は"いつまでも"と似ても似つかない。しかし、そんな事を気にする聴き手は最早ほぼ存在しないのだ。誰もが、お父さんとくれば次にお母さんだろうというのは想像がつくからだ。『いつまでも』の方は同じ言葉を繰り返す事で耳にすべりこませ、『お母さん』の方は『少年』とゆるやかに韻を踏む『お父さん』との連係で登場する。同じメロディーに矢継ぎ早にどう言葉を乗せていくか、この短い間に鮮やかな捌きを宇多田ヒカルはみせてくれるのだ。

即ち、このパートは必ず「お父さん〜お母さん」の順番でなくてはならない。「お母さん〜お父さん」の順序ではいけないのである。別にこの順序は男尊女卑とかではなく、ただひたすらに音韻上の要請だったのだ。


…あれ、今回は"片思い"の話じゃなかったっけ(汗)。脱線した話の方が本線になってしまった。まぁ、別にいいか。次回に続くという事で。