無意識日記々

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だからKeep Tryin'

音韻とは、繰り返される同じメロディーの同じ箇所に同じ母音や同じ子音を載せる事を指すだけではない、というのは今までKeep Tryin'の歌詞を見てきた事でわかって貰えてるかと思う。

この曲で、特に頻繁に目につくのは母音にして「あ-い[a-i]」の音を意識的に多用している事だ。

『無い物ねだり』の『だり[Da-Ri]』、
『満足できない』の『ない[Na-i]』、
お笑い番組』の『(おわ)らい[owa-Ra-i]』、
『大事と思うけど』の『大事[Da-i(-ji)]』、
『面倒くさがり』の『がり[Ga-Ri]』
(更にこれには直前の『去年より[Yo-Ri]』も掛かっていて、更に『挑戦者のみ[No-Mi]』が追い掛けてくる) 、
『何度でも期待するのバカみたいなんかじゃない』の
『きたい[ki-Ta-i]』『みたい[mi-Ta-i]』『じゃない[ja-na-i]』、
一番だけでもこれだけある。
更に退治、願い、大切な命、休みな"さい"、"タイ"ムイズマネー、夢が"ない"なあ、愛情より、愛があれば、と続いていく。

そして、どの[a-i]もほぼ総て強勢で歌われていて、メロディーの動きも似ている事に気がつくだろう。ヒカルとしても、思い付く限りありったけの[a-i]を込めた感がある。

この執拗な音韻への拘りの理由は何なのだろうか。二番最後の『愛[a-i]があれば』がその答えで、ヒカルはありったけの"愛[a-i]"を楽曲に込めたのだ―というのがまずひとつ。

そしてもうひとつ、こちらがメインだろう、『Keep Tryin'』と韻を踏んだのである。tryin'はカタカナで書くとトラインだが、英語ではtに母音がついてないのでここは[(tr)a-i(n)]と発音する。この楽曲中に張り巡らされた徹底的な音韻は、このタイトルの一言に収束していくのである。