大体の光の行動には合点が行くか、理由はよくわからなくてもそれはそれでいいかと納得できてしまう事が多いんだが、少数ではあるものの"不可解"なセットも存在する。そのひとつが"Automatic Part2"だ。
こういう曲調で自己紹介を展開する歌をあのタイミングで収録したのはいいアイデアだと思うし、5年ぶりのセカンド・アルバムという事で仕切り直しの意味も込めてAutomaticの続編をという発想もいいと思ったが、何故それを併せてしまったのかがわからない。
当時も指摘したのだが、音楽的な内容としてAutomatic Part2と呼びたくなるのはFYI-Merry Christmas Mr.Lawrence-の方であって、リズムにテンポ、インストゥルメンタルとボーカルのバランス、抑揚と起伏のある歌メロなど、似てはいないが同系統の曲調であった。
確かに、近い音楽性の曲同士に似通ったタイトルをつけてしまうとどうしても比較対照した評価を受けてしまいそれぞれの楽曲にとってあまりよい結果を齎さないかもしれない。それを回避した、というのならわかる。現実には、「そんなことは考えもしなかった」のかもしれないけれど。
であるなら、確かにこのタイトルをどこかで使うというのなら、歌詞が異色である所の自己紹介ソングに、という顛末になるのもわかる。この曲はイレギュラーですよというシグナルだ。
そういう消去法でいくならこういう結論になるのも仕方ないが、どうにも消極的な印象は拭えない。
何より、そういう理屈は抜きにしてこの曲には、当時のレーベル名(Island Defjam)なんかがフィーチャされている為、今後ライブで歌われる可能性がほぼない、という"運のなさ"が気にかかる。歌詞を書いてる時はその後の契約終了なんて頭の片隅にもなかったのか、或いは念頭にあったから今のうちにとこういう曲を書いたのか、いずれにせよ陽の眼をみなさは変わらない。なんとも惜しい事である。
尤も、該当箇所をその時々の所属レーベル名に変えて替え歌を披露し続けていけばそれはそれで"使える"歌に変身していく事は可能どある。ライブテイクも、歌詞違いという事で価値が上がるだろう。要は今後の活動次第なのだ。今の時点で不可解であっても、これからの行動次第で幾らでも合点のいくものに変えていく事が出る。いつだって、結論を出してしまうには早いのである。