無意識日記々

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アリッタケの怒リを最後の1行に込めた。

前回分の補足。これはつまり、今回のようなケースで本人だと勘違いしたりリツイートしたからといって、特に気にする事はないという話だ。これだけで話が収まるのなら害はない。今以上の展開を見せればまた話は違ってくるが一連の流れをひっくるめてTwitterの風物詩として捉えておけばいいし、防災訓練やワクチン注射のように捉えておけばよい。本当に拡散したらマズい時に冷静に立ち止まるよい訓練になるし、冷静になれていない人々から距離を置けるようにもなるだろう。よい方に考えよう。ただ、山中氏が気分を害したとあれば当事者からのきちんとした謝罪は必要だろうがあの人は途方もなく忙しいだろうからそんか事に構っている暇はない、というのが実際の所なのではないか。

真偽や真贋を見極めるのは難しい。誰しも間違う。大事なのは素早い訂正である。前回も触れたように、どうしたって冤罪事件のようなケースは出てくるのだから、誤報や間違いであった時に適切な対処をすべくガイドラインが整備されていなければならない。が、現実はなかなかそうはなっていない。

本来ならば、冤罪事件のような場合には最初の間違った報道の、ざっと見積もって少なくとも3倍以上の報道量とスピードでカバーしなくてはならない。情報は放っておいても拡散するのだ。即座に総ての情報を同じ情報量で塗り直したとしても全く足りない。何故なら、殆どの場合最初の報道で「初めて聞く人の名前」を受け手はインプットされるからだ。更にそこに「その人は犯罪者」という情報が同時に入る。同じ情報量でそれを訂正してもその人の名前でラベリングされた記憶の箱はただ空っぽになるだけだ。違う。人には中身があるのだから、そこに中身が入るだけの情報を挿入する、或いはその記憶の箱そのものを作り替えるエネルギーが必要だ。それが人の認知構造というものである。

今の場合"即座に情報を書き換える事が出来るなら"という条件付きだった。しかし実際はそこにタイムラグが生じる。また、人が情報を受け取るのには一定の周期がある。新聞の朝夕刊なら半日、朝刊なら1日、週刊誌なら1週間…訂正のチャンスは、その時まで待たねばならない。その間にも人は口コミで情報を広げ、睡眠によって記憶を定着させる。誤った情報を訂正する為にはこのタイムラグ分だけ余計にエネルギーを注ぎ込んで情報を書き換えなければならない。

となると、最低でも3倍以上の情報量、或いはエネルギーを注ぎ込んで情報は訂正されねばならない。今のマスメディアがそれをやっているかというとやっていない。何故か無謬主義が優先されていて、特に自分達に非があって拙速だった場合の素っ気なさは尋常ではない。株主にいい顔をしなければならない民間の企業にはまだ同情の余地があるが公共放送をうたうならもうちょっと何とかしてほしいかな、と思う。NHKさん。

そうなってしまうのも、視聴者が無駄に手厳しいからだ。というか、怒り方が間違っている。「誤報を出すのは何事だ」という過去へ遡及した言行は生産的ではない。「山のように訂正報道を打ちやがれ」と苦情を言うのが正しい。過ちを責めるより、次はこうしてくれと言う方がいいと思うよ。


という訳でヒカルさん、次から山道を歩く時は気をつけてくださいね。