無意識日記々

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15年経っても/経ったから

まだ今朝未明午前2時半頃の出来事という事で詳細はわからないが、現時点で死傷者計60名という大規模な殺傷事件が相模原市緑区の障害者施設で起こったらしい。早々に施設の元職員を名乗って犯人が出頭したという話だが、一般論としては、すぐには油断は禁物である。今回の事件は違うようだが、犯人が複数、あるいは逮捕者が身代わりや騙りで実行犯がまだ潜伏しているかもしれない。報道は、まずは全力で犯人の真偽の程を調査し報ずるべきだ。

…べきなのだが、何故か職員の人たちや被害者の家族の皆さんにインタビューをしてそれを全国に向けて流しているようだ。視聴率に縛られセンセーショナリズムに殉じなければならない民放は(建て前上は)致し方なかろうが、なぜ公共放送を名乗る局まで以下略。それ前回散々やった。

いやしかし、被害に遭った当事者たちの精神的な保護に関するガイドラインに即した対応をしてくれているのか、甚だ疑問だ。事件直後の極度の緊張状態において、意図的にフラッシュバックを誘発する可能性が(僅かにでも)あるインタビュー行為は相手によってはPTSD等精神的外傷を酷くする恐れがある。現場の状況については捜査にあたっているプロフェッショナルな皆さんに訊く方がまだマシだ。いや、彼らもちゃんとガイドライン(があるなら、だが)を守って被害者の皆さんと接しなければいけないが。


先日、今年の殺人事件の件数が低い水準で推移しているというニュースが入ったばかりだ。確か、上半期は日本全国で500件未満だったのではないか。その数字に比して、今回の被害者の数はかなりのインパクトがある。

結局書かなければいけないか…。要するに、このような無差別大量殺人は極めて特異なケースであり、これをして「最近物騒になってきた」などとは決して言えないどころか、特異であるという事実から、こと殺人事件に関してこの国は恐らく世界史上でみても最も平和な国である。その事実は今回の被害者の皆さんと遺族の方々に対しては微塵も慰めにならないどころか哀しみを増させる一方なのだが、報道量と現実の状況は何の相関もないどころか負の相関をもつとすら言ってよい。こういう事件が「ありきたり」になって報道しきれなくなっていけば、それこそが凄惨な世の中である。


昨日ちょうど『FINAL DISTANCE』発売15年ということで同曲を聴きながら池田小の事件について思い出していた。「あのような悲劇を二度と繰り返してはならない」、誰もがそう思った事だろうが、今回の事件の報道に接して無力感に苛まれてはならない。15年前と比較して日本での殺人事件認知数は減少を続けているのだ。その状況を省みずに感情論で動いてはいよいよ逆効果である。そちらを向いては、いけないのだ。

しかし、人の命は数ではない。喪った人にしたらその人の命は替えのきかぬもの。同質でないものを数える事は出来ない。統計上殺人が減っただの増えただのは何の意味もなさない。そして、もう取り返しはつかないのだ。遺族の皆様には心よりお悔やみ申し上げます…。