無意識日記々

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母と母の母と父と

ヒカルのルーツを辿る時、必ず最初の一歩は母親である。そして、ここから還ってくるのがいちばん難しい。

Wikipediaによると藤圭子さんの両親は浪曲歌手と三味線弾きらしい。いわば、三代続けての音楽一家。普段からヒカルは世代をどう繋ぐかというテーマについて語っているが、こう取り出してみれば、核家族化と産業の工業化が進んで親の職業と無関係に生業を選んでいく世代とは一線を画す、ある意味伝統的な生き方ともいえるかもしれない。

ただ、そこにあるのは"生き方"である。継承する地盤も看板も人脈もない。実際、ヒカルがデビューするにあたってあの藤圭子の娘である、という事実は殆ど影響を及ぼさなかった事だろう。デビュー後にその世代へのプロモーションにはなっただろうが。

かといって全く断絶していた訳では勿論ない。U3MUSICの役員として長年ヒカルに付き添っていたし、ボヘサマの北海道公演では僅かとはいえ舞台にも立っている。そして年齢を考えれば、現時点で表舞台から姿を消していてもさほど不自然ではない。ある意味、普通にヒカルと関わり合ってきていたといえるだろう。

地盤や看板や人脈ではなく生き方を受け継ぐ、というのはどんな感じなのだろう。一つ所に留まらない生活、というのも受け継いでいる。それは宇多田ヒカルのイメージ自体にも影響を与えている。話題が途絶えたというだけで「あの人は今アメリカに居る」と思い込んでしまう人が後を絶たない。こちらに居なければあちらに居るだろう、という発想。普通ならなかなかない。母方の祖父母からして旅回りの生活を送っていたらしいから、そのイメージすら継承していると思えてくる。直接はそのイメージ作りに干渉していないだろうが。

しかし、こうやって"家業"を継いできたといっても、宇多田ヒカルを二代目藤圭子と捉える人は殆ど居ない。コロムビアローズじゃあるまいに。それはそれで世代間の断絶ともいえるし、早期にヒカルが自分の看板を確立した為だともいえる。二世の弊害はよく謳われるがヒカルをそう思う人はまず居まい。

こう考えていくと…という話からまた次回。