Beautiful Worldの話が出たついでに付言しておくと、EVAQのストーリーは寧ろ桜流しよりBeautiful Worldのそれに近い。
『もしも願い一つだけ叶うなら
君の側で眠らせて どんな場所でもいいよ
Beautiful World
迷わず君だけを見つめている
Beautiful Boy(s)
自分の美しさ まだ知らないの』
当初からこれはシンジとカヲルのことだと解釈する流儀はあるが、EVAQの「2人で寝転んで星空を眺める」シーンはまんま『君の側で眠らせて』だな。もしかしたらこれは、映画からBeautiful Worldに対するリスペクトを表明した一場面なのかもしれない。物語上では、シンジの方から声をかけるという意味を持っているのだが。
旧劇版とBeautiful Worldと新劇版と桜流しの関係性は興味深い。ヒカルは、今回のEVAQの場合はなるべく脚本を見ないようにしていたそうだし、総監督からは「映画の展開には沿わず、思うままに」と言われていたらしい。それは、大枠として序の時も同じだったのではないか。つまり、BWは序破を知らずに、桜流しはQを知らずに書かれている。即ちBWの前提となる知識は旧劇版まで、桜流しは序破まで、という概要になる訳だ。
確かに、桜流しには前に触れた通り「あなたが守った街のどこかで」というフレーズが出てきているからそれはその通りだが、つまり総監督の狙いは、ファンとしての心境の推移をリアルタイムで歌に反映させることなのではないか。主題歌という存在を、作品側からというより、それまでの作品を見て期待度が高まっているファンの感情の方とシンクロさせるように考えていたのではないだろうか。つまり、宇多田ヒカルは作り手であると共に、ファンの声の代弁者としての機能も期待されているということだ。映画に合っている曲、というより映画を観る我々の感情に合っている曲。そういう存在として主題歌を味わいなおしてみるのもよいだろう。