無意識日記々

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30の声が聞こえてきた

この一曲、このテイクだけで判断すべき事ではないかもしれないが、桜流しにおいて真に驚異的なのは歌手宇多田ヒカルのパフォーマンスである。プロとしての活動から離れて2年近く経つというのに声に全く衰えがみられない。よくこれだけ歌えるもんだな。

そういえば3年前の今日は新木場スタジオコーストでMikaのLIVEに飛び入りしてLet It Snowを歌ったんだったな。もうそんな季節か。光なら、確かに、あの程度のパフォーマンスはいつでも出来る。(http://t.co/e6hrrN4r thx to @hikkicom)音域も限られているし節回しの縛りも緩い。光が歌いだした時の嬌声は「うわ、本格的!」という驚きと喜びの声だったと思われるが、やっぱり他人の曲を歌うとウケがいいなぁ。

しかし今回は自分で作曲した歌だ。細かい縛りだらけの節回し、声のトーンのコントロール、声量の変化、ブレスの艶っ気…何もかもがハードルが高い。しかし、確りと歌い切っている。若干、歌声が硬質…つまり、普段よりやや力んで歌っているようにも思えるが、歌詞が歌詞だけにリラックスして楽しく、という気分になれなかったのかもしれないし、或いは全体的に低音域がソリッドなサウンドなのでヴォーカルのミックスもそちらに寄っているのかもしれない。いずれにせよ誤差の範囲というか許容範囲というか。少なくともこのテイクを聴いて「宇多田衰えたな」と本気で言える人は少ないはずだ。

歌う事は肉体労働である。普段馴染んでいないと声はすぐ衰える…というのが常識だと私は思っているのだが、違うのだろうか。或いは母親譲りの"生まれついての強靱な喉"の持ち主なのだろうか。そんな都合よくこういう能力が遺伝するかねぇ。知らない。

兎にも角にも安堵である。宇多田ヒカルの声は衰えていない。これから30を迎え、技術的な面は置いても声量や声域といったパワーを要するファクターはなかなか上積みが望めない。今まで力を引き出していなかったのなら別だが、歌手として長年活動しているのだからそういう事はないだろう。パワーの衰えを如何にカバーするか。あの世界一の節制の鬼であるイチローですら40歳目前にしてその体力的な衰えが懸念されるようになった。いやまぁ彼の場合、専門家に言わせると動体視力の衰えが主らしいんですが。光も、どうやら人間活動中も、少なくとも声にマイナスになるような生活を送っては来なかったとわかってほっとした。いやまぁ心配してたのかと言われると、そんなでもなかったのだけれど。

寧ろ不満なのはヴォーカルのパフォーマンスより楽器陣のミックスや、音色の選定…というか生ストリングス使う気なかったの?という点か。もしかしたら、いつかこの曲が何らかのアルバムに収録される際にはリ・レコーディングされるかもしれないよ。いつになるのか知らないけれど。既に現行バージョンでこの存在感なのにサウンドがこれ以上パワーアップしたらどうするの…。正直、いちばんのハードルはこの曲自身だと思う。人間活動中ですらこのクォリティーなんだから、本腰を入れて音楽活動に取り組み始めたらもっといい曲が出来るんじゃないか…そう思われてしまっても仕方がない。それに光がどれだけチャレンジできるか…

…いかん、気が早すぎるな。でもまぁ、未来が楽しみになるって、いいじゃんねぇ。