無意識日記々

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シンQ対決

前にも書いたが、佐倉流し―佐倉さん引くわー…じゃなくて(笑)、桜流しの評価がうやむやになったままの状態がもどかしくて仕方がない。

それはつまり、EVAQの内容が内容だっただけに、新劇場版ヱヴァンゲリヲン全体の評価が宙ぶらりんになっているのに引きずられている、という事だ。序破ときてQはそれ単体では何とも言えない、この後の回収の仕方次第、という空気に桜流しも絡め取られてしまっている。

ただ、それは幸運な事なのかもしれない。EVAQの殻を纏わずに裸でこの曲が評価されたとしたら、一体どんな風な空気になっていたことやら。ちょっと想像が難しい。Beautiful WorldはEVA無しでもそれ単体でPop Songとして機能していた。桜流しにそれを求めるのは酷だろう。Be My Lastと変わらなかったのではないか。

映画「春の雪」はなかなかに好作だったが、世間的な評価としては平凡なものだろう。そもそもが「知らない」「興味がない」「観たいとも思わない」と遠慮なく言われてしまうクラスの話題性だった。そんな中でBe My Lastの返品率が話題になったものだから(どこで?)、曲調と相俟ってBe My Lastにはどこか暗い雰囲気がつきまとう。勿論私は大好きな曲で、Passionと共に名盤ULTRA BLUEを支える屋台骨だと思っているが、それが世間様からズレている事は百も承知である。

桜流しはそうはならなかった。破ほどではないとはいえ、EVAQは結局破格の大ヒットを記録、興行収入も円盤売上も凄まじいものとなった。そこに評価保留の雰囲気。桜流しはそもそも、まだ好き嫌いの土俵に乗っていない、スポットライトが当たっていないのだ。

庵野総監督がどう出てくるかはわからないが、次作シンエヴァの公開とともにEVAQが遡って評価される空気が生まれてくる。それと共に、桜流しもまたそこで語られる事になるだろう。総ての繋がりの中でこの歌が何を歌っていたかが漸く明らかになるのだ。それによって、宙ぶらりんのこの曲の立ち位置が徐々に々々々定まっていく。好き嫌いも多く言われるようになる。

そこで問題になってくるのがシンエヴァの主題歌だ。十中八九ヒカルが作るだろうが、その曲の発表に伴ってこういう風に言われていくのだ、「シン作の歌はQ作の歌より好き」と。これじゃわかりにくいか。「新作の歌は旧作の歌より好き」、と。シンQ/新旧の比較。これは大きなテーマとなるだろう。

ただ、月日が経っている。置いたバトンを拾い直したその場所は、果たして昔と同じなのか遥か遠くかずっと先か。そこをどう埋め合わせてくるかである。EVAというのは特殊な作品だから、内容がギャップだらけでもそれを埋めるのはファンの仕事であり、それが楽しみだった。それが旧劇版の空気で、新劇版では序破はあまりそうではなく、Qで一気にその空気を取り戻した。

さて、ヒカルはどうするか。彼女はいつもとてもわかりやすく説明する。そういう"優しいうた"を作れるのが彼女の魅力だが、例えばBe My Lastでは珍しく"ぶっきらぼう"で、多くを語らないリフレインにリスナーは戸惑った。あの程度で、と熱心なファンは思うかもしれないが、Pop Musicにいちばん大切なのはその「最後のやさしさ」をしっかり忘れず付け加える事なのだ。音楽を100%の完成度までもっていったその更に後に"本質的には余計な"1%を付け加えられるかどうかでその歌が受け入れられるかどうかが決まる。それを理解し尽くしている―というか普通に曲を作ったらそうなってしまうヒカルが、一体シンエヴァでどんな「最後のやさしさ」をみせ、それによって桜流しへの光の当たり方をどう変化させるか、首を長くして待ち望む事にしようか。