無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

言い訳なんかしてていいわけ?w

隣の芝生は青く見えるもので、日本のアニメーション技術の日進月歩ぶりには恐れ入る。米国のピクサーもそうだが、この業界は、若干のタイムラグがあるだろうものの、基本的にその時最も技量の高い人材、新しい技術やノウハウが、商業的に規模のある作品に於いて使われている。つまり、売れているものをみれば、ある程度最新の体験が得られるのだ。

音楽は違っていて、特に邦楽はそうだが、新奇で面白いサウンドは、例えば上位に入ってくる事はないし、技術的に高いミュージシャンが売れるかといえば専門ジャンル内ではまだしも音楽市場全体でとなると無視に等しい。売れているアイドルの曲のバックのサウンドに新しいものが隠れていたり技量の高いミュージシャンが演奏したりもしているみたいだが、それは単に"隙につけこんで"入り込んでいるに過ぎない。新しい"から"、巧い"から"売れている訳ではないのである。

まぁ、だからフェアだし正直だし、何より大衆的な文化であったといえるのだ。普通に音楽を聴いていて、他と較べて新しいとか古いとか上手いとか下手だとか、いちいち気にするものでもない。気に入るかどうか、それだけである。ただ、昨今の邦楽は規模として「大衆的な文化」として維持出来ているのか微妙なラインに入りつつあるが…。

で。これがミュージックビデオの世界の話となると、私はさっぱり知識がない。普段PVを観る習慣がないから、例えば桜流しのビデオで何か最新の技術が使われているかとか今流行の手法が云々といった事がまるでわからない。これで分析を進めるのは少々無理がある。

しかしそこは、宇多田河瀬という組み合わせに甘えておこうかなとも思う。勝手な想像だが、この2人は桜流しのビデオを制作するに際して世間の流行がどうのという事は大して考慮に入れなかったんじゃないかと思えるからだ。技術的には何か新しいものを用いているかもしれないが、それはあちら側の話であって、実った果実をもいで食べるこちら側はあんまり気にする事でもない。「どうしてこうなった」という結果に対する解釈を連ねるだけで十分だろう。多分、次はカメラワークの話。