無意識日記々

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売れない憂い

時々、「売れたくないんだろうか?」と思う。喉元過ぎれば熱さ忘れる、ではないが売れた当時の苦労は兎も角としてこれだけの才能があれだけの(って見た事ないけどな)労力をかけて作り上げた楽曲、パフォーマンスたちが、あんなのやこんなのの後塵を拝するだなんて、やっぱり居心地が悪い。クオリティが下がって売れなくなるんならわかりやすくていいけれど、宇多田ヒカルの作品群のクオリティが下がってると本気で言える人はどれだけ居るだろう。作風の変化はある。昔の作品の方が好みだった、という個々の嗜好はある訳だから、ひとりひとりが離れていったりするのは仕方がない。しかし、本来なら、"総体的にみて"、出て行く人間より入ってくる人間の方が多くないと不自然だ。実際、ULTRA BLUEよりも後に出たHEART STATIONの方が売れた。こうでなくてはならない。

そうなるとSCv2の扱いが難しい。This Is The Oneは英語詞であり、本来なら米国で人気が出てそれを逆輸入する流れで売れるべき作品だったのだが本人が途中で倒れてしまった。判断は保留とすべきだろう。SCv2は総てが滞りなく進み、ライブチケットの優先予約権までつけてブーストしたのにあの数字である。当時の無意識日記では「初週は20万枚ラインの攻防」みたいな事を書いた記憶があるが、それはただその時の現状を把握しようと努めた結果であって、つまりただの冷静な分析と予想であって、SCv2の売上が"それでいい"という評価の話では全くなかった。特にGoodbye HappinessとCan't Wait 'Til Christmasの2曲は、何故起爆剤とならなかったのか不思議でならない。あんなにカワユスな白ペプCMまで作っておきながら…。

まぁ、もう3年近く前の話である。今訊きたいのは、ヒカルはその時悔しくなかったのか、そして、もしそうであるなら今もその悔しさは残っているか、という点だ。自分の世界を追究し、ひたすらその質を高めていくような音楽家であらんとするなら私も売上の話なんかしない。そんな事を気にするのは時に害ですらある。しかしヒカルは違う。常に生み出す音楽に対して"Popであること"、To Be Popを要求している筈なのである。それならばと私は売上の話を持ち出すのだ。Pop Musicは売れてなんぼ、より多くの人々に気に入ってもらい、それが社会の中で一定の存在感をもち、ある程度コミュニケーション・ツールとして機能する事を期待されているのである。存在としての音楽を追究する学究肌ではなく、機能としての音楽を突き詰めるのが商業音楽家たる者の宿命だ。然るにヒカルは…


…そんなに肩に力入れてても仕方がないか。私はまずいちリスナーとして、自分で聴いてみて気に入るかどうかから入らないとね。売上の話はその後でいいや。つまり、何年後になるんだってばよ…。