無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

"(だからPopsが書けるのだ)"

セプテンバーイレブンスから12年か。あの時の事故以上の戦死者を出して結局一体何をしたかったんだ感が強いが、えぇっと、話が長くなる上横道に逸れるだけなのでそこはうんと端折ろう。

【生きてます!】という名メッセがあってだな。長い人はあの名文をありありと思い浮かべるであろう。『白線の内側に下がって、お待ち下さい☆』のヤツだ。世界は色々あるけれど、私は新しい歌を作ってて絶好調です、という話。実際、travelingはその好調さがそのまま音に宿ったような曲調だ。

要は、自分の出来る事は限られているのだから、自分にどうしようもない事は諦めて、自分に出来る事をしよう、と。今戦争を止めにシリアに行っても誰も何も出来ないだろう。しかし、私はそれを無意味だとは思わない。人1人が変えられる事なんて、本来人1人分でしかない筈だ。無茶だろうが無理だろうが、それを訴えるべきだと思うのなら、まずやってみればいい。その自由を保証する為に、ありとあらゆる人々が頑張ってきたのだから。

何の話かよくわからないな。俺もわからん。

9月の熊淡を休むのは妥当な判断だ。しかし、番組作りは、なんだろう、やっといた方がいい。人間活動中の今、唯一社会的意義を広くアッピールできる時間なのだから。知らない所でボランティア活動とかやってるんだろうけれど、知らないので考慮に入れるのは難しい。まぁ、いいじゃない。

要するに(…この言葉を発する人は大抵話の要領を得ない人なんだな…)、正義とか義憤とかで人の行動を制限する人たちに負けないで欲しい、という話だ。ヒカル本人も言っていた。「それって他粛じゃね?」と。世の中が戦争一色になっていても、歌を作っていればいい。それを快く思わないのは自由、でもないな、仕方のない事だが、有形無形の圧力をかけてそれを止めにかかってきたら、この国は、この星はヤバい。道徳の悪しき側面が発動すると、なかなか止める事が出来ない。「不謹慎」というマジックワードは総てを萎縮させ、世の中全員を永遠の喪中に服させる。そんなことはするな、俺がよしと思う事をしろ、と。


Hikaruは今、心の思うままに行動出来ているのだろうか。ただでさえ人の心を斟酌する事が日常になっている(だからPopsが書けるのだ)人なのに、こんな状況では益々人の目を気にしてしまうだろう。そんな時に、travelingの制作時にあんな調子だったように、自分のペースはここです、と言い切れるような作品なり何なりが手許にすぐ在る、という状態が望ましい。ラジオ番組はそのひとつ。頃合をみて、10月放送分に取り掛かってもらいたい。

どうせなら、歌も書いちゃえばいいのに。リリースなんてしなくてよいから、要は自分のモラル、自分の行動基準を思い出す手続きを意識的にしていかないと、もう二度と話せない故人の意志と、噂話が好きな大衆の動向にいつまでも振り回されてしまう。故人の意志を"精一杯"汲み取るのは大賛成だが、それとともに貴女は宇多田光さんだ。死んだのは藤圭子さん(本名:宇多田純子さん)で、今回の件の"主役"は間違い無く彼女だが、今生きている方は宇多田光さん(芸名:宇多田ヒカルさん)だ。生きているだけでその人はその人生の主役である。その道にも、そろそろ戻れとは言わない、故人を悼む気持ちの道と本来の貴女の道を合流させて、ぶっとい道を歩いていって欲しい。歌が歌えるって、凄い事なんだから。